足枷は、なんですか?
時々あたしの発信物にも出てくる言葉の一つです。
若い頃、ブラジルの格闘舞踊、カポエラを習っていた時。
カポエラのルーツを探り、なぜ発展したのか、なぜ接触しない、格闘が根付いたのかなど知り、そこには個人レベルで、思いを出しても、動かないものがあり、それに流されつつも、本来の力を高めるそう言った事から、カポエラが行われたと。
ようは、奴隷制度で足枷をつけられ、それでも戦うために、いざという時のために、一見踊りの様に歌を歌い、楽器で楽しんでいるように見えながら、いざ、戦わないとならない時に備えて、接触しない勝ち負けのない格闘舞踊が生まれたという訳です。
その動きは、足枷をつけながらも動ける範囲で、また着実に自分の力を付けていく。
母として、女性として、また金銭的なもの、物理的なもの、、、
色んな足枷がある中、じゃあ今のあたしには、何が出来るのかな?
と、自分のしたい事リストから、チョイスした結果にいつも、価値を見出してやってきました。
おそらく、それはそのカポエラからの学びだったのかもしれません。
何かがあるから、出来ない。
もちろん、それもあります。
かと言って、嘆かないでください。
それには必ず意味があります。
出来なかった。と思いながらも、少し経つとそれでも良かったと、思ったり、もちろんそのやりたい気持ちを捨てたり、手放さなければ、タイミングが来たら、出来るはず。もしくは、しなくて良いなら、しないのだと思うのです。
だから、あたしは何かが絡まった時。
自分の足枷はなんだろう?
と、考える事が多いのだと、想いながら、、、

















