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毎年、紫陽花の咲くこの時期、46歳で亡くなった母の命日がやってきます。
自分が母親になって、母親の立場で考えると中学生と大学生の娘を残して逝くことがどんなに悔しくて残念で、そして心配だったことが理解できます。
当時は、癌であることを本人に告知しないというのが当たり前の時代でした。
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末期がんということをひたすら隠していた父もどんなにか辛かったのでしょう。
母が亡くなる半年前に母の妹弟には伝えていたようですが、、結局、本人には事実を伝えないままでした。
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もし母、本人が知っていたら逢いたい人もいただろうし、娘の私や妹に伝えておきたいこと。やっておきたいことがいっぱいあったのではないかと思います。

私が母が癌であるということを知ったのは、偶然、家にあった「週刊現代」をめくったのがきっかけでした。
「末期がんのために新療法!」「免疫リンパ療法」
という記事があり、、その療法を取り入れている病院と教授の名前で、母が入院している病院であるとわかりました。
亡くなる2か月前のことでした。

「末期がんによる腹膜炎」ということがわかり、、一晩中涙が止まらなかったのを思い出します。

お腹が臨月のように、身体から染み出る腹水が溜まって、苦しんでいる母の姿もときどき、夢に出てきます。今ならもっとなんとかラクに過ごすことができたのではないか、、。
当時の私には何もできないまま、話すと涙がでそうで、最後の1か月は母の顔をまともに見ることができませんでした。
その様子を母も察して「美雪どうしたの?私の病気は癌なの?治らないの?」と聴いてきました。
「私がわかるわけないでしょう?」と怒ったらそれから、一度もその質問はしてきませんでした。母親なら娘の表情や態度で何かあったと気づいたに違いありません。