今月に入って知りあいの突然死が続いている。

 

一人は60代。テニスのサーブをしていて、そのまま頭から倒れ込んで動かなくなった。すぐに救急車で病院に運ばれたが、処置できる状況に無くそのまま病院で死亡が確認されたそうだ。数秒前まではテニス🎾をしていたのに、一緒にいた人たちは言葉にならなかったそうだ。

そして、先週は、朝、母方の親戚からLINE入った。

子供の頃、とても可愛がってくれた叔父(86歳)が自宅で倒れたとの事。

彼は自宅で食事をし、いつものように、ソファでリラックスしていたらしいが、、たまたま家にいた10代の彼の孫が異変に気づいた。でも、まさか、心肺停止とは思わなかったようだ。すぐに、出かけていた母親に「おじいちゃんの様子がおかしいから直ぐに戻って、、」と電話。母親が駆けつけて、救急車が来て、病院で、死亡が確認されたそうだ。

10代の女の子が、そのような場面に遭ってしまい、本当に辛くやるせない。精神的にあまりに突然でパニックになってしまったようだ。今はだいぶ落ち着いた様子だが、、家で心肺停止になり死亡となると、遺体は警察に置かれて検死となる。

そうでなくてもショックなのに、、家で倒れ、死亡と確認されると遺体もしばらく戻ってこない。今回のケースは全く事件性もないので、、警察には1晩だけで、済んだ。

 

この二人に共通しているのは、直前まで普通にしていたという所。

もしかしたら、そのもっと前に身体に異変があったのかもしれないが、本人も周りも気づいていなかった。

解剖もしていないので、原因不明だそうだが、多分、心筋梗塞ではないかと言われたのも全く同じ。

もし、自分がこのような状況に直面したらどうすべきか、、。

客室乗務員時代に訓練された救急救命、蘇生訓練を思い出した。

すっかり錆びついているので、時間を作って消防署の救急救命講習を受けに行こうと思った。
 

お二人のご冥福を心からお祈り致します。

 

 

 

5月1日.2日は残念ながら雨模様の二日間。
河口湖付近は、東京都は違いかなり寒く、部屋ではストーブをつけて過ごし、外に出る時はダウンコートを着てちょうど良かった。

行きの中央高速も帰りの東名高速道路もガラガラだったので、1日に出て2日帰りは大正解だった。

富士山麓公園は、富士山が綺麗に見えるとのことだったけれど、、全く見えず、、。

富士山麓公園

その代わり、近くの鐘の滝が誰も居ないし、静かで素敵な所だった。

鐘の滝

 

 

帰る頃には少しずつ晴れ間も見えたが、残念ながら富士山は隠れたまま。山中湖経由で帰ってきたが、山中のドライブは、霧が濃くて少し怖かった。
今年に入って、ずっと体調がすぐれなかったけれど、気分転換になって元気が出てきた。

 

 

コロナ禍で、近場しか出かけていなかったが、、久しぶりに叔父の別荘のある河口湖、鳴沢村に一泊して来た。ツツジが綺麗だった。

 

 

5月2日は父の命日。

すい臓ガンで余命3ヶ月と宣告されてから、約一年頑張ってくれた。連休中に亡くなったのは、私が一人ではなく、家族が家にいるから、、と配慮してくれたような気がする。

息をひき取る数時間前、、

  連休だから、みんな家にいるから、私一人じゃないから。

  もうすぐ病室にパパに逢いに来るわ!

  ゴールデンウィークだから。

と言ったら、ホッとした顔をして微笑んだ。

それが最後の会話だった。72歳だった。

毎年、ゴールデンウィークはそんな事を思い出しながら過ぎていく。

今回の河口湖は、昨年亡くなった知人のいる忍野村にお花を持ってお参りに行くのが目的だった。
奥様が一人で住んでいて、お花とお菓子を持って伺ったらとても喜んでくださった。

 

3/8の今日は、国連が定めた国際女性デーです。SDGs達成目標のひとつでもある「ジェンダーの平等」に対してますます関心が高まっています。

 

 

 

2009年から2011年に国際女性デーのイベントをボランティアで、必死に頑張ったことを思い出します。

 

女性と仕事の未来館で個人や女性団体のメンバー達が手弁当で、毎日、話し合いイベントやセミナーを開催しました。

女性デーにはヨーロッパでは、女子にミモザやチューリップをや送る習慣があります。

当時、新潟県の協力を受け沢山のチューリップ🌷を飾りイベントを盛り上げました。

第一次安倍内閣で女性活躍推進の機運が高まり、

#山東昭子議員 #福島みずほ議員  #山谷口えり子議員 など党派を超え、#女性活躍推進 について考える機会になりました。

 

 

私は女性のライフとキャリアビジヨンについて、山谷えり子さんとトークセッションをしたり、セミナーを菅家ゆかりさん、外川知恵さんと講師を担当しました。

 

 

残念ながら、女性と仕事の未来館が、民主党の仕分けがあり、女性団体は活動の場所がなくなってしまいました。

 

あれから、10年以上経ちましたが、まだまだ女性が社会で活躍するには沢山のハードルがあります。

女性が自分らしく輝ける社会の実現についてちょっと考えてみませんか?

ウクライナから避難している沢山の女性や子供たちの悲しい表情に胸が痛みます。

 

  #IWD  #ジェンダー平等 #国際女性デー #ジェンダー #平和 

 

まだまだ寒いと思っていましたが、少しずつ光が温かくなつているのを実感します。

秋に植えた球根はどんどん芽を出してきました。

外に出していたモンステラを部屋に入れたら、新しい葉がでてきました。

 

 

 

 

1日で、丸まっていた葉が、徐々に開いていきます

翌日、午後には葉が開きました。

小さく育てたいと思っていましたが、大きな観葉植物は存在感があり、多少部屋が狭くなっても仕方ないかな。と思えます。

 

 

ベランダの球根たちは、もう少し、時間がかかりそうですが、部屋に入れたヒアシンスはあっという間に開花し、近づくと上品な匂いに癒されます。

 

1月に入り、体調を崩しその上、腰痛も悪化して落ち込む日々ですが、春の訪れとともに心も癒されつつあります。

季節の変わり目でSNSなどを見ると、私と同じように体調を崩している方が多いようですが、くれぐれもご自愛ください。

春の花🌸や観葉植物を部屋にプラスすると癒されます。

是非、試してみてください。

 



寒中お見舞い申し上げます

2022年の元旦は、例年、行っていた天皇杯もなかったので(昨年12月19日に開催されました)

家で静かに過ごしました。

昨年は親しい方や義父との悲しい別れがあり、年末年始のご挨拶を失礼しておりました。

 

あらためて、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

みなさまにとって2022年が素晴らしいとしになりますようお祈りしております。

 

今までは、あまり抱負などを書いたこともなかったのですが、今年はブログに書いて、表明することによって実践したいと思います。

 

1.コロナが収まったら逢いたい人とリアルにどんどん会う。

 

2.ピアノの練習し、せめて一曲は満足のいく程度に弾けるようになりたい。中学の友人と連弾をする計画もコロナ禍でとん挫しているのでまた、練習を再開したい。

 

3.原稿も期日を決めて書き完成させる。

 

4.要らないものの整理を初めて1年。まだまだ、モノが多いので本当に必要なものだけに減らしたい。

 

5.状況が許せば、アメリカとヨーロッパに行く。

 

6.健康第一。(昨年は入院中の家族の病院に通っていたのが、今年は病院にあまり行く必要のないような年にしたい)

 

7.あわてない(焦っていていつも急いでいるので)今年は少し、ゆっくり考え行動する。

 

8.歩く。健康につながるし、SDGSを目指し、車になるべく乗らない。

 

9.できるだけブログの更新をする

 

皆様もまずは健康で、笑顔溢れる一年になりますよう心からお祈りしております。



クリスマスイブにサプライズなプレゼントを頂きました。家に着く50メートル前で、電話が鳴り車の中でとったら、お花屋さんからでした。



家の前にいるとの事。すぐに行ったら、クリスマスのフラワーアレンジメントでした。

また、先日はニコライバーグマンのクリスマスリースを頂きました、小ぶりだけどドアにかけると可愛い。

夜には、アスタリスクのクリスマスケーキが届きました。

クリスマスイブ、皆さんも素敵なクリスマスを❣️

先月は悲しい別れが続きました。

11月初めに知人が癌で亡くなりました。67歳でした。
そして先週、義父が97歳で亡くなりました。
義母が亡くなり、一人暮らしをしていた一昨年から具合が悪くなり、95歳で前立腺癌の末期で放射線治療と睾丸摘出手術を聖路加l国際病院でして、一旦は少し元気になり、別の病院に入院していましたが、その後は少しずつ体力がなくなり、最後の数週間は何も食べることができず、点滴のみでした。
手術をしてから、約1年半頑張りました。
11月はじめごろまでは頭はしっかりしていてボケたりもしないで最後まで立派でした。
私が22歳で結婚してから、自分たちには息子しかいなかったからと本当の娘のようにかわいがってくれました。

義父は東京帝国大学を卒業し太平洋戦争中は高崎連隊で暗号の解析などをしていたそうです。卒業後は都市銀行に入行。丸の内支店長やロンドン支店長、役員、常務取締役などを歴任。70歳まで関連会社で活躍しました。

もともと、銀行でテレックスを打っていたそうで、英文タイプができたことから、キーボードは抵抗が全くなく好奇心旺盛で早くからPCを使っていました。Facebookもやっていて子供や孫たちの写真を見て楽しんでいたようです。入院する前95歳ごろまでは、PCで日記を打ち、メールをしたり、インターネットでたくさんの新聞をチェックしたりして、好奇心も旺盛で見た目も10歳以上若く見えました。私のブログは必ず見ていて、最近ブログ書いていないね。なんて電話がかかってきたりしていました。PCを使えたので一般的なお年寄りとはかなり違う生活ができたのではと思います。
 

一昨年、具合が悪くなって救急車に乗った時、救急隊員が昭和13年と80代男性と間違えていたのを「わしは大正13年生まれ。95歳だぞ」と訂正していたのを思い出します。
コロナ禍で昨年の3月ごろから一時、ほとんどお見舞いに行けなかったのが本当に悔やまれます。
10月中旬からは、コロナが落ち着いたのでと特別に許可をいただき、10分間だけ毎日会うことができました。最後の2週間は朝と夕方顔を観に行っていましたが、「美雪さんきてくれたんだ~」と声を絞り出してくれました。

早くに両親を亡くした私にとっては、いつでも守ってくれる人で、90代になってもとても元気だったので、ずっと、生きていてくれるような気がしていました。

コロナ禍で家族だけの葬儀でしたが、家族みんなでお別れすることができたので、父も喜んでいることと思います。
年齢ではおめでたいと言えるかもしれませんが、本当に悲しい。そして長い間ありがとう。舅姑との関係が難しいという話を時々聞きますが、わたしにとって義父母には感謝しかありません。

今頃、天国で私の両親や1年半前に逝った母に逢っている事でしょう。                   合掌

 


 

日本人では40年ぶりのショパン国際ピアノコンクールに入賞した、反田恭平さん。

 

 

テレビでのインタビューで小さい頃は、ピアノだけでなく、サッカーもしていたそう。筋肉トレーニングをしたり、髪を伸ばしサムライヘアにしてイメージ戦略をし、コンクールに臨んだとの事。ここまでの努力は本当に大変だったのだということが想像できます。ピアニストではなく音楽家でいたい。という言葉が印象的でした。ソリストを育成するスクールを創るそうです。また、指揮をして自分のオーケストラを持っているのを先日、拝見しました。小澤征爾さんの後に続く世界に誇れる日本人の音楽家がどんどん活躍してほしいです。

 

昨晩は、夜中にもかかわらず、ショパン国際ピアノコンクールの動画を観ずにいられす、汗だくになりながらのの演奏は圧巻でした。二楽章の音はとても繊細で、心に沁みました。亡くなった母が好きだったショパンのピアノコンチェルト。

12月にコンサートがあるみたいだけど、もう、チケットは取れないかな。生で聴きたい。ショパンの曲はやはり、ピアノにあつている。久しぶりにショパンの曲をを弾いてみたくなった。練習しないと指が動かないだろうけど。反田さん、本当に素敵。

 

今年の12月に三省堂の国語辞典が8年ぶりに改訂されまるというニュースを見ました。3500語の新しい言葉が加わる一方で、辞書から消える言葉も1700語あるそうです。

 

その中に「スッチー(スチュワーデス)」も入っているとのこと。私が入社したころは、スチュワーデスと呼ばれていました。新聞の求人欄には「日航スチュワーデス客室乗務員募集」と出ていました。今のようにインターネットもない時代、求人情報は新聞でした。

 

入社して間もなく、スチュワーデス物語が放送されました。堀ちえみさんが演じた訓練所の様子はかなりリアルに描かれていました。私のような東京や神奈川、千葉に実家はある人は寮には入れないので、寮での生活を描いていた訓練生の生活とはかなり実際とかけ離れたテレビ番組とはなっていましたが。それでも、あの番組の影響は大きかったようです。スチュワーデスの存在や職業がかなり知られるようになり、飛行機の大型化、路線の拡大で、スチュワーデスの数もかなり増えました。そんな中、スチュワーデスを短く「スッチー」と呼び出す人が多くなったようです。「美雪さんはJALのスッチーだったんだ」などと言われていましたが、この言葉を知る人も少なくなってきたのですね。今はCAという人が多いですが、JALではCA(キャビンアテンダント)を英語ではフライトアテンダントという言い方をしています。

外国人にCAと言ってもなかなか通じません。

Flight attendant ,  Flight Crew , 

Flight cabin attendant といえばグローバルに通じます。

それにしても、言葉はどんどん生まれ、どんどん消えていくもの。時代とともに変化していくものなのですね。

三省堂国語事典では「コギャル」「コレクトコール」も削除されるそうです。アメリカに電話をするのに3分5000円だった時代。母にコレクトコールを何度もしたことを思い出します。

 

南周りで、体調が悪くなってUAE(アラブ首長国連邦)のアブダビのホテルで1週間ダウンしたことがありました。その時、日本にコレクトコールで電話をしようとしたら、まずは、オペレーターに申し込み、確か8時間後ぐらいにやっと東京と話ができたということを思い出します。

今は海外と無料で電話ができるなんて当時から考えると夢のようです。こんな環境だったら、どこにいても繋がっていられるのですから、あまり寂しくもないのではと思います。

 

先ほど、ロサンゼルスにいる妹と話をしましたが、妹の姑が亡くなり、教会のお葬式(サービス)はZOOMでするので、朝、6時だけど参列する?という内容でした。コロナ禍ということもあり、たくさんの人が教会に集まることができないからとのこと。東京にいて、LAの教会とも普通に繋がることができるなんてすばらしいですね。
これからますます、世界が小さくなっていくのだと実感しました。