四国八十八ヶ所霊場第47番熊野山妙見院八坂寺/別格二十霊場第9番文殊院/第48番清瀧山安養院西寺 | 日々の暮らし

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皆さん、おはようございます。今日もお忙しい中、ブログにお越しいただきましてありがとうございます。
 
今日は四国霊場第47番からです。熊野山妙見院八坂寺。真言宗醍醐派のお寺で恵心僧都作の阿弥陀如来が御本尊です。修験道の開祖・役行者が開いた山岳修験道の道場で大宝元年(701年)に文武天皇の勅願寺として発展していきました。後に熊野信仰とも融合したことで熊野山の山号が付きました。このお寺も何度かの火災に見舞われ伽藍を焼失するも現在の地に復興しています。平安時代中期の僧・恵心僧都は後の日本の浄土教の礎を作った人物です。

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
続きまして別格二十霊場第9番・文殊院。こちらも真言宗醍醐派の寺院で地蔵菩薩と文殊菩薩が御本尊になります。
 
 
 
 
四国遍路発祥の地とあるように、ここが河野衛門三郎の屋敷跡。御存知の方も多いかと思いますが衛門三郎さんはこの地の資産家でした。47番のお寺から48番に向かう弘法大師が托鉢を乞いますが、衛門三郎さんは酷い仕打ちをして追い返してしまいます。その後、彼の8人のお子さんたちが全て亡くなってしまうと言う目に遭ってしまいます。彼は弘法大師にこの時の事を詫びる為に、四国遍路を始めると言うあのお話です。多分ね・・・困っている人には出来る親切はするようにと言う戒めの意味でのお話なんだと思いますが、それにししても、お気の毒だったと思うし、衛右三郎さんも心を入れ替えてくれて良かったな・・と感じます・・・。
 
 
 
 
更に続きましては第48番・清瀧山安養院西林寺です。真言宗豊山派のお寺で御本尊は行基作の十一面観音。西暦741年・天平13年に行基が庵を結び十一面観音を彫って安置したことが始まりになっています。伊予の関所寺と呼ばれ(@_@;)寺の門前を流れる小川に西林橋が架かっています。ここから仁王門に向かい周りよりも低い土地に寺がある為に無間地獄の入り口に見立てられ、重い罪を重ねた人間が通ると、這い上がれない底へ落ちて行くと言う言い伝えがある為に関所寺となっています。・・・・多分・・・相方も私も・・・どこにも落ちなかったので、そこまで酷い行いはしていないと思って良いかなはてなマークチョキ(笑)(笑)
 
   
 
   
 
 
 
 
今日も皆さんが心穏やかにお元気でお過ごしになれますように。