私も坐禅の仕方を習った。
同年輩のマリカが
フランス語で教えた。
まず黒い円形の坐蒲(ざふ)を両手で持ち道場に入る。
壁に向かい坐蒲をほぐして坐る位置に据える。
合掌をして坐蒲の上に腰を下ろし臀部をあて坐る。
片脚を別の脚の腿の上にのせ姿勢を正す。
「半跏趺坐」だ
さらに
「むずかしいけれど、、」
と
両脚を交錯させる「結跏趺坐」を実施し
「ロテュスLotusの姿勢だよ、、」
Lotusは、フランス語で「蓮華の花」を意味すると教えてくれた。

脚を折り曲げて坐る習慣のないフランス人には苦行の姿勢を
彼女は誇らしげに実施して見せ、
次に、アルファベットのカードを差し出した。
フランス語でも英語でも日本語でもない読めないカードで
判断に困る
と、「『般若心経』だよ」
と説明し朗誦した。
私の知らない「日本」を
フランス人がフランス語であれこれ具現化する
と、落ち着かない気分になる。
マリカは、パリの東洋語学校で日本語を学んだ学歴の持ち主で
俳句のワビ・サビとか忠臣蔵のハラキリとかにつうじ
「日本のタタミや障子は、なぜあんなに美しいんだろう、、、」
とか訊いてくる。
ところが日本人の私には「自明」のことばかり
フランス語どころか日本語でさえ説明できない。
日本を離れて初めて、
私は「自分の国を知らない自分」を意識した。
思えば「西洋」に憧れをもつ22歳の私は、
大学の仏文科でフランス語を学びフランス詩をいくつか暗唱できる
が、「般若心経」は知らない。
一方、マリカは「禅の心」について知りたがる。
それにしても
マリカのような知的で美しいパリジェンヌが、
なぜ、日本の仏教の一派である「禅」に興味をもつのだろう?
「禅」とは、何か?
なぜ、フランス人がキリスト教の教会ではなく
禅寺に押し寄せるのだろう?
パリの起点はノートル・ダム寺院のはずだ、、、
フランス文化に憧れてパリに到着した私は、
「パリの禅寺」で暮らしはじめ
強烈なダブル・パンチでカルチャー・ショックを受けてしまった。
同年輩のマリカが
フランス語で教えた。
まず黒い円形の坐蒲(ざふ)を両手で持ち道場に入る。
壁に向かい坐蒲をほぐして坐る位置に据える。
合掌をして坐蒲の上に腰を下ろし臀部をあて坐る。
片脚を別の脚の腿の上にのせ姿勢を正す。
「半跏趺坐」だ
さらに
「むずかしいけれど、、」
と
両脚を交錯させる「結跏趺坐」を実施し
「ロテュスLotusの姿勢だよ、、」
Lotusは、フランス語で「蓮華の花」を意味すると教えてくれた。

脚を折り曲げて坐る習慣のないフランス人には苦行の姿勢を
彼女は誇らしげに実施して見せ、
次に、アルファベットのカードを差し出した。
フランス語でも英語でも日本語でもない読めないカードで
判断に困る
と、「『般若心経』だよ」
と説明し朗誦した。
私の知らない「日本」を
フランス人がフランス語であれこれ具現化する
と、落ち着かない気分になる。
マリカは、パリの東洋語学校で日本語を学んだ学歴の持ち主で
俳句のワビ・サビとか忠臣蔵のハラキリとかにつうじ
「日本のタタミや障子は、なぜあんなに美しいんだろう、、、」
とか訊いてくる。
ところが日本人の私には「自明」のことばかり
フランス語どころか日本語でさえ説明できない。
日本を離れて初めて、
私は「自分の国を知らない自分」を意識した。
思えば「西洋」に憧れをもつ22歳の私は、
大学の仏文科でフランス語を学びフランス詩をいくつか暗唱できる
が、「般若心経」は知らない。
一方、マリカは「禅の心」について知りたがる。
それにしても
マリカのような知的で美しいパリジェンヌが、
なぜ、日本の仏教の一派である「禅」に興味をもつのだろう?
「禅」とは、何か?
なぜ、フランス人がキリスト教の教会ではなく
禅寺に押し寄せるのだろう?
パリの起点はノートル・ダム寺院のはずだ、、、
フランス文化に憧れてパリに到着した私は、
「パリの禅寺」で暮らしはじめ
強烈なダブル・パンチでカルチャー・ショックを受けてしまった。