オルレアン市 マルトロア広場の
ジャンヌ・ダルク騎馬像
1855年
オルレアン解放から 400年を過ぎて
ジャンヌ・ダルクへの オマージュとして
彫刻家 Foyatier により建てられ
さらに、6年後 別の彫刻家 Dubray が
ジャンヌの生涯を レリーフに刻んだ
1429年5月
イングランド軍に包囲され、落城寸前であった オルレアンの街
そこへ、神のお告げを受けたという 少女が現れ、
王党派の軍を導き、
奇、奇、奇跡!!!
包囲戦に勝利し、街を解放します
戦いを終え、剣は 下に向けて 空を仰ぐ
花冠の ジャンヌ・ダルク
凛々しい姿!!
騎馬像の台座には 文字と レリーフが
正面には
A Jeanne d’Arc
La ville d’Orléans
Avec le concours
de la France entière
ジャンヌ・ダルクに 捧げる
オルレアン市
全フランスの
協力の基に
とか、
読み取れます
台座の左右には、
青銅の レリーフが
嵌め込みで 飾られています
ランスにて シャルル7世の戴冠式のシーン です
反対側の レリーフには
オルレアンの街を攻防し、ジャンヌが 勇敢に戦う シーン
さらに下の
石の台座には
シノン城で シャルル王太子と謁見するシーン
コンピエーニュの戦いで 捕えられるジャンヌ
ランスで 投獄され、牢屋の中のジャンヌ
火刑台のジャンヌ
と
ジャンヌの生涯が レリーフで 刻まれています
駅前のジャンヌ・ダルク広場には
Messire m’a envoyé pour secourir
La bonne ville d’Orléans
善良なる オルレアンの街を 救出するために
神は 私を 遣わされた
の
ジャンヌの言葉が 刻まれ (見物しそこなった)
ジャンヌが捕虜になった折は
拠出金を集め、
彼女の救出を 嘆願もした
(のに、シャルル7世は、無視!で、ジャンヌは捕虜になった)
のお話もあり
オルレアンの街の人々は
街を救い フランス国を救った ジャンヌ・ダルクを
オルレアンの乙女 La Pucelle d’Orléans
と名付け
感謝し、敬意を表しているのです
1485年頃 ミニアチュール 国立古文書博物館
それにしても、
ジャンヌのお話は、ドラマティク過ぎる・・・?
作られすぎの ヒロイン譚では ないか・・・?
そうも 思っていました
ところが
調べていくうちに、
総てが 事実・・・それ以上・・・?
わかると・・・そこが、ス、ス、凄い!
1854年 アングル画 ルーヴル美術館
歴史上の人物で
ジャンヌ・ダルクほど、資料が残っている人物はいない・・・
すべてが資料に基づく
19世紀半ばになって
ジャンヌが有罪宣告を受けた 異端審問裁判の記録
火刑の目撃証言、遺体の処理の証言
復権裁判の記録
等
ジャンヌ・ダルクに関する14世紀の古文書が
ぞくぞくと、発見され、見直されていく
パリのマレ地区の古文書博物館に保管されている
ジャンヌ・ダルクの古文書ですね。
さらに
1849年、オルレアン大司教のジャンヌ賞賛の演説
1855年 オルレアン市の騎馬像設置
と、ヒロイン化され
500年後の
1909年、カトリック教会による列副
1920年には、列聖
ついには、聖人として 仰がれる
フランスの 国民的ヒロインなのです






