マヤカレンダー

 

6月8日「シカ5」

 

マニクが世界の中心に座って力を与える

 

 

太陽嵐や地球環境問題、テクノロジーの扱い方を間違えたときの脅威、人間中心主義による感情の劣化や過剰に保護されて甘やかされた人類のエゴなど、地球上で生物界の頂点に君臨した人類は今や世界を脅かしている。

 

 

 

そして地球とともに壊れゆく世界には、やがて終わりがやってくる。

 

 

社会学者の宮台真司は、世界が終わる時について次のように語った。

 

新しい人類学の話題(存在論的転回)では、人間中心主義はもはや反人間的であり、脱人間中心主義こそが人間的であるだろうと。「人間」的なものが表すのはもう「人間・人類」では無理なのかもしれない。では「人間的なものとは何か、また何が担うのか」

人類の歴史上、古い時代では、今でいう統合失調症やADHDなどの症状がある人は、シャーマンのように、あるいはお告げをする人、のような存在として担われていた。

つまり人間的であるかどうか、ぎりぎりの周辺の最先端にいるような存在が、集団の未来を切り開いてくれるのだ、という発想が昔にはあった。

しかし、今はそれが失われてしまった。それが事実上、近代化の出発点だろう。

やがて時がたち、カオスに対する免疫力がなくなってしまった人間は、完全に原生自然(フィジオクラシー)から間接化されて、言語的に予測符号化された枠の中でしか、物事が起こらないという状態でないと、安心できないほど劣化してしまった。

 

我々は”地獄の風景”を知らない。

世界の終わりの風景を知るということは、”地獄を知る”ということで、優先順位は一変する。
何のための力か、どこに向けて力がでるのか、一貫して主張するものは何なのか?と問われるのが終わりの風景だろう。
安心安全便利快適神話が崩壊し、右往左往して死んでいくのも終わりの風景だ。

 

 

 

 

終わりの風景に近づいている人類にとって、可能性を開いてくれるのは「人間ギリギリ」と呼ばれるような、脱人間的で、この社会に適応しない、宇宙人のような、シャーマンのような、ADHDやアスペルガーのような、不思議な生き物のようなタイプの人たちが、自らの使命に気づくこと。

 

 

なのではないだろうか。

 

 

 

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