2月13日「ワニ4」ナイフトレセーナ

あと7日で「風(北)」の年が終わり、マヤ暦では年の守護者が「シカ(西)」に交代します。

 

「西」の年が始まるまえに、大地の四隅を支えるバカブ神と、シバルバーの秘儀を象っている神々から、いくつかの重なる出来事と現象を通じて、「北」の象意を受けとめよ。的なメッセージをうけとりました。

 

そこで「LINEグループなるもの」

について、私の考えを少し書いてみようと思います。

 

方位についての説明は、今回は省略いたします。

 

私のところで「古代マヤ暦」を学び、其々のコースを修了されていった生徒の皆さん、また現在も学びを深めていらっしゃる生徒の皆さんを「弓玉LINEグループ」に招待し、連絡やお知らせ事項を伝えたり、マヤ暦で気づいたり感じたことを書き込んで交流しあっておりました。

 

そして昨日「祖先3」の日、その「LINEグループ」を解除・削除いたしました。

 

色々な理由はあるのですが、そもそも「LINEグループ」をどのように位置づけし、どのように考えているのか、皆が同じ前提をもち続けることはできない。と認識したからです。

 

 

鑑定師、講師である私との関係とマヤ暦で学んだ他の生徒さんたちとの関係をどう捉えているのか、あるいは不要で面倒な場と考えているのか、無意識的か意識的かマウンティングしているのか、などのような「存在意義」や「前提認識」がそれぞれに違っている。ということを、皆が了承して合意した上で存続させることはできない。ということがあるからかもしれません。

 

 

「グループLINEを卒業したい」

「書き込みへの同意が面倒だ」

「修了したのだから、はずしてほしい」

「何で私の時はこうしてくれないのか」

etc etc

 

このようなメッセージをうけとるたびに、私は疑問をもち、心も魂のナワールも痛みました。

 

私は「北」の方位に属する「死」のサインをもち、マヤ暦鑑定師としてのキャリア歴20年、鑑定実績は数万件、講師としては、生徒さんに配布するテキスト資料のほとんどは、私自身が独学で翻訳したり研究して作成してきたものです。

 

ということは、私は本来「群れ」を好まないタイプで、「北」的で、「不動」「沈黙」「一匹狼」的な生き方をしている人間であり「精霊の型」なのだということです。

 

 

私にとって、「弓玉LINEグループ」が存在していることの意味は、話したい人が話し、気づいた人が同意し、皆が楽しく自由に発言すればいいし、既読スルーすればいい。

卒業とか修了とかが関係するようなシステムで作用していないし、マウンティングに感じたらそれはそれで楽しみながら俯瞰していればいいし、マヤ暦的なる世界を学んだもの同士が世界の外側とコネクトするための「次元空間」として存在すれば良い、ということを意味していました。

 

でも、冒頭で書いたように、それは人間的な意識があるかぎり、不可能なのだ。ということに気づきました。

 

LINEグループが存在することで、面倒さを感じたり、存在にネガティブな意識を持つ人が次々と生まれてしまうのであれば、そもそもの存在をDeliteしたほうが「マヤ暦なるもの」「マヤの神々」に対して忠実であるのではないか。そう考えました。

 

私はマヤの神々には嘘偽りはつけません。

 

 

今のわたしは、講師や鑑定の仕事をしながら、マヤ暦なるもの、世界観、世界体験について書籍化するために、時間をつくっては地道に資料を紡ぎ合わせ、言語にならないメタファーを言語化する作業をしています。

 

還暦を過ぎてからの私が、私として現役で活動できる身体的人間時間の残りは、限られています。優先順位を考えると、私には世直し的な思想や主義を主張するという目的はありませんので、マヤの神々に忠実になって、本来の使命を全うしようと考えているわけです。

 

 

「LINEグループ」だけではなく、SNSやサロン、FBグループなど、リアルではなくバーチャルやメタバースのようなネット社会での交流が主軸になりつつある現代、そこに参加すること・しないことの意味、参加したことのメリットデメリット、そもそも自分なるものの型に適合しているか、していないか、様々な角度から自分を眺めてみて、選択していくことがとても大切なのではないか。と感じています。