こんにちは。

 

7月も今日で終わりですね~

 

私が子どもの頃は、夏休みの楽しみといえば、イチゴミルクのかき氷ラブ

夏祭りに盆踊り、プールや海に花火大会・・・という、地元行事や暑さゆえに楽しむ夏のイベントごとでした。

 

たまに連れていってもらう、デパートの屋上での催し物や、レストラン食堂でのオムライスやパフェは、楽しい思い出でした。

 

インターネットやコンピューターオンラインゲーム、携帯やスマホなどはもちろんありませんでしたからね爆  笑

 

それでも、充分に楽しむことができましたし、子どもなりに幸せだったと記憶しています。

 

現代は、今を「幸せ」だと感じることが少なくなってきている。と報道されることも増えてきました。 私たち人類を悩ませているコロナウイルス感染パンデミックはとても辛いですが、そのことをのぞいたとしても、私が子どものときに感じたような、素朴な幸せ感は失われつつあるように思うのです。

 

 

 

 

環境や時代背景、科学技術の進歩やテクノロジー化によって「幸せ」という価値観それ自体が変化しているのかもしれませんが、それだけではないように思います。

 

友だちのあいだで、仲間外れや、ジャイアンみたいないじめっこがいたりなんていうことは、私が子どもの時代にだってよくありました。

でもそれはある意味で、今のような「陰湿さ」「残酷さ」はなかったように思います。

 

 

ジャイアンのようないじめっ子でも、のび太が困っていたら助けてあげることもありますし、仲間外れになっている子がいたら、仲間外れ返しなどせず、他の友だちが仲間に戻してあげることもあれば、気にせずに「いーれーて!」と言って、すぐに仲間に戻ることだって可能でした。

 

(私の両親)

 

それは、どこかマイケル・サンデル教授の著書や講義にあるような、「vature of 利他」という心、魂があったから。と言えるかもしれません。

人が成功するのには、天賦の才能だけではなく、周囲のサポートや応援が得られたこと、幸運に恵まれたことにたいして、謙虚になり、感謝していく構えがなければ、それは本物の成功や幸せとはいえないよ、ということです。

 

自分にとっても相手にとっても駆け引きなしのwinwin的な、損得勘定や慈善的な行為をともなわない、自然に共感しあえるような「友達前提」だったり、「町の皆がおもう共通前提」のようなものが昔はあったから。だろうと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休み2021年8月は、オリンピックパラリンピックを家で応援する楽しみはありますが、コロナ感染拡大懸念から、出かけることも少ない夏休みとなりそうです。

 

ものごとは考え方、捉え方一つ違うと、違う現実や未来がみえてきますし、今とは異なる「あらたな人生」がはじまったりします。

 

 

時間を有効につかうことを考えて、いままでの自分の発想や着眼点にはなかったような視座から「世界」を体験してみる、知識を得てみることが、新しい未来の選択可能性につながっていくのではないかと思いますキラキラ

 

 

マヤカレンダーは、7月30日から「夜」のトレセーナ周期にはいりました。

 

 

「心の神殿」を再建するとき、なのかもしれませんね。

 

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