マヤカレンダー今日は「道」トレセーナの「コーン2」

 

昨夜はしっかり寝たはずだよ~ビックリマークと思うのに、次の日やけに眠くて眠くて。。。

みたいなことありますよねzzz

 

そんなときは「Grease」のサンディをみて頑張ろうドキドキウインク

 

 

 

 

知の巨人、日本の思想家「吉本隆明」

7月のEテレ「100分 de 名著」番組では、吉本隆明の「共同幻想論」を紹介していました。

 

 

 

 

 

彼はとても孤独な人だったのだろうと感じます。

まるで大海原の真ん中で、ぽつんと一人いるような感覚。

読んでいるとつらくなり、キルケゴールの「反復」に脅迫されるかのような錯覚を覚え、吉本の魂にしみ込んでいる「絶望」と「闇」が果てしなく広がり、共同幻想が個人の生命を飲み込むような恐怖をおぼえます。

 

言っていることはきっと正しく、集合的無意識をとらえているのだろうと思います。

しかし吉本が捉えているところの「知識」や「知性」は、権威的で父性的なるもので、その周辺にはどこにも「母性的」なふくよかさや愛らしさがない。

私にはそう感じられてしまい、吉本の言葉に引きずりこまれたら、死んでしまいたくなってしまう。そんなおもーい感覚になり、本を閉じてしまいます。

 

「呪い殺し」があるとしたら、それは大衆によっても成立させられたりするけれど、「呪縛」なるものに「個」としての内なる自分が覆いかぶされ、逃れられない運命と、解放されない自我を呪って自死に追い込むこともあるのかなぁと思いながらおりました。

 

肉体的にまったく「痛み」を感じることができない、という病があります。

「痛い」ことがわからないため、幼少期に怪我をして血だらけになっても遊び続ける。手術をするときも麻酔はいらない。そんな危険と隣り合わせにある子を育てる親の苦労の話をきいたことがあって、そのことを思い出しました。

 

吉本隆明の「痛み」や「苦しみ」を語るその背景には、どこか「痛みがあるのに無痛」という「業」的な根源かのような苦しみを感じてしまい、いたたまれなくなります。

 

それがなぜなのか、何故私がそう感じてしまうのかは

 

 

不明ですが汗ガーン

 

 

 

原初なる摂理と秘教の教えをもとめて

私はまた「ユエバ・エスパニャ報告書」の旅へと戻っていきます星