マヤカレンダー今日は「イヌ・8」
今私たちは、たくさんの場面で、色々なことを諦めたり、我慢したり、不条理に憤ってみたりして「いま」という時を過ごしています。
しかもこのことは私たちの住む日本だけでなく、「地球惑星」という規模で、世界中の人々がこのような「見えない幽霊」への恐怖と向き合い、どう戦うか、どう防衛するか、経済のことを心配しながら今日明日を心配して暮らしています。
「見える世界」と「見えない世界」があって、人類は「見える世界」とはいつも戦ってきています。
戦争や災害、旱魃や異常気象、経済社会の崩壊や、ライバル企業や人間同士も戦いを意識して、顕在化した問題を解決、納得、制圧、勝利しようと努力してきたわけです。
けれども「見えない世界」とはどのように戦ってきたのでしょうか?
そもそも「戦い」はあったでしょうか?
例えば怨霊や邪悪「エクソシスト」のような悪魔祓い。
霊の攻撃や心の迷いとの戦い、真実や愛、空気なども見えませんが、「人の心」という様も見えません。
宗教でさえ巨大な化け物だったりします。
それらとは戦いをしてきたのでしょうか。
東日本大震災のとき、私たち日本は「放射能」という「見えない幽霊」に恐ろしいほどの恐怖を感じましたね。
弓玉ミラクルワールド(Ameblo以前のブログ)より
![トランプクローバー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/134.png)
古代マヤだけではないと思いますが、マヤの先住民族たちは、空高く天空や宇宙の壮大な物語りを観測し、畏敬と畏怖の心をもって神々の啓示をうけ、神官たちは全ての天空の物語りを記述し、私たち人類とはほとんど隔離して、その文明を何百年、何千年と発展させてきた「普遍の共感の場と宇宙観」を伝承し続けてきた「天空の民」です。
彼らの文明の豊かさや神秘性、限りなく美しい歴史哲学や思想、神話には、何層にも異なる地層のように、天の摂理や物語り、秘密の教義や大切な真理が象られています。
悠久なマヤ世界、そのことに思いを馳せてみたとき、私たちが今恐れている「幽霊との戦い」「見えない世界」「死」との戦いとは、いったい何だろう。 そう思わざるを得ないのです。
怖がることに意味があるのだろうか。とも。
マヤの人たちが見ていた世界や宇宙の理は、時空を超えて現在に生きる私たちに、何を語ろうとしているのだろうか。
そんなことを考えながら「夜」の周期を過ごしています。