マヤカレンダー今日は「風・12」

明日で「サル」トレセーナが終わります。

 

昨日マヤレッスンで、生徒さんと「死生観」についてお話をしました。

 

なるほどと気づかされることがあったので

こちらでも少し説明してみようと思います。

 

 

 

「死」

 

あなたにとって「死」とはどのようなものですか?

 

「怖い、恐ろしい」

「終わり」

「無くなる」

 

色々な気持ちや感情、経験があるとは思いますが

「死」というものは、「生きている」存在にとっては必ず訪れます。

「永遠の命」がない限りはね。

 

人は必ず死ぬ

とわかっていても、家族や我が子が病気や怪我で生死をさまよったりしたら

不安で怖くて仕方がないですよね。

 

気持ちはよーくわかります。

 

でも古代マヤの世界観では

「死」は終わりではありません。

「死」と「生」は循環しています。

 

私たち命が生まれる世界は「生の世界」

私たちの命が肉体を離れ、旅立っていく世界は「死の世界」です。

 

死の世界は地獄とか天国とかじゃないですよ汗

もちろん、どこの宗教でも天国と地獄のモチーフは元型的に存在しています。

でもね

誰も生きている人は

「地獄」とか「天国」に行ったことないでしょ?

あるかないかもわからない。

「死の世界」がどのような世界なのか、暮らしたことがないでしょ??

 

マヤでは「ミクトランテクウトリ」という死の神や

「ショロトル」のように冥界を旅するときに

一緒に横に寄り添ってガイドしてくれる神がいて

闇の世界を旅しながら

再びこちらに誕生してくるわけです。

 

つまり「輪廻転生」的な死生観がマヤにはあるわけです。

 

 

それだけでなく

「死」はメタファー的には「見えない世界」「暗闇の世界」なので

肉体的な生存とか、命があるとかないとか

「生きている」ことだけに「生」があるわけでもなく

「死ぬ」という肉体的な死だけを「死」と呼ぶわけでもないわけです。

 

 

生と死は常に円のように循環しているものです。

陰陽やフナブクのように、つながっている

あるいはマヤコーデックスの暦にあるように

コインの裏表のようにお互いが見えないだけで

背中合わせの関係です。

 

 

 

「死」が怖いと思うのは

生きていることと対比させた概念だからですよね。

 

しかしマヤの世界観では

「生きる」「死ぬ」という意味だけのために

「死」があるわけではないのです。

 

詳しくはもっと深く学ばないとわからないと思いますが

 

「マヤカレンダーとともに生きる」

ということは

「マヤカレンダーとともに死ぬ」

ことでもあり

 

「死」は「生」と同じように

マヤ暦デイサイン占いにおいても意味がある。

ということになります。

 

 

 

 

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