12月31日大晦日のマヤカレンダーは「死・9」ドクロ

 

2019年最後の太陽を担ぐナーカルは

「死Cimi」晴れ

 

今年は本当にたくさんの皆さまに

弓玉ブログやSNSフォロー、ワークショップや朝カル講座のご参加、個人鑑定にご訪問、ご利用いただきまして

誠にありがとうございましたラブラブラブお願い

 

 

西暦2019年という「年」が終わり、2020年という「年」が始まる。

「亥年」が終わって「子年」が始まる。

「12月」が終わって「1月」が始まるイヒ音譜

 

「終わり」と「始まり」が「ある」というだけで

 

人は言葉だけで言い表せない「何か」

奥深くから湧き上がる魂や霊の

享楽的な感情と、輪廻的慟哭感情が生まれます。

 

 

 

北極圏で冬至のこの時期におこる一日中太陽が昇らない「極夜」や、夏至の頃におこる「白夜」という一日中太陽が沈まない現象は、普通の人間の意識や世界観を変えるようにおもいます。

 

人は「夜と昼」というように、「暗い」か「明るい」かによって体内のリズムも整うようになっているし、意識も変化しますので、区切りや区別がない状態や環境に慣れるということは、実はとっても難しいことだと考えています。

 

 

「終わり」や「区別や区分」があるからこそ、「始まり」に期待と心地よい安心を得られるし、明日を信頼できるわけです。

 

「美学(審美学)」というのは、美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域です。森鴎外により「審美学」という訳語が与えられた、とWikiには説明されています。

 

 

古代マヤの世界観では

「死」や「終わり」には

始まりや誕生とは全く異なる

「見える世界と見えない世界を繋ぐ」という、凛とした美しさをもつ審美学があります。

 

 

チチェン・イッツァピラミッドに天から降臨したククルカンの光は

「ヘビ」の影を象って地上に降り立ち

そのまま直進して

セノーテの泉に入り

冥界(死後の世界)への旅にむかう

 

 

そのようなストーリーがあることは

古代マヤ文明に興味がある人であれば知っていることと思います。

 

「終わり」がもつ美学です。

 

「終わり」は単なる「終わり」ではなく

「始まり」でもなく

境界や区別を一点に集約させることで

「一つに結合・合体」させるという意味で

感覚的にいえば

最高に美しく、超越の到達点ともいえるような

「審美」を兼ね備えています。

 

マヤカレンダーに何層にも秘められている

密儀や奥義を知ると

驚愕します。

 

同時に

「この世にこんなに秩序だった美しさなどがあるのだろうか。」

と歓喜します。

 

私はその何層にも重なった

ミルフィーユのような

「終わりの審美」のなかに住まい

「終わり」と「始まり」のあいだを

ゆらぎとともに生きています。

 

 

マヤカレンダーは大切なものやことは全て

 

 

全体として内包しているのです。

 

 

終わりの審美学です。

 

 

 

 


 

古代マヤ暦は「循環暦」です。

 

「終わり」は「始まり」につながっています。

 

 

「死」は終わりではないし

「暦」も「時」も終わりではない。

 

 

 

 

 

 

 

2020年もよろしくお願いもうしあげますお願い

 

 

 

 

 

 

!

子年

って私の年だったラブラブ口笛笑い泣きねずみねずみねずみ星



追加






寒いので凄いことになってます😊

これからカウントダウン行ってきます。






 

 

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