マヤカレンダー今日は「祖先(アハウ)・3」

Merry Christmasキラキラクリスマスベル

 

「クリスマス」という西洋の伝統行事を、「イエスキリストの生誕祭」キリスト教の儀式と捉えている人が一般的だと思います。

 

それはそれでいいのですが、実はそれ以前からの「クリスマス」や「サンタクロース」について儀式的由来について、深く考察している人類学者がいます。

 

 

 

「クロード・レヴィ=ストロース」

 

『野生の思考』や『悲しき熱帯』『構造人類学』など有名な著作がたくさんあります。

レヴィ=ストロースといえば、「中沢新一」さんです。

 

私は中沢先生の講座やイベントに出かけていって、よくお話を伺っています。

以前、古代マヤの世界観についてお尋ねしたときも「構図は一緒だよね」とお応えをいただき、納得したことでさらに古代マヤ先住民の世界観を深堀できました。

 

この本は「火あぶりにされたサンタクロース」というタイトルで

ちょっと恐ろしい感じがしますが

内容は恐ろしくありませんニコニコ

 

 

 

 

レヴィ=ストロースが新進気鋭の若い頃に論文として書いたもので、それを後半では中沢新一が解りやすく解説している良書です。

 

「サンタクロース」は神話的なフィギュアで、いまや「無宗教のシンボル」となっています。

 

太陽の力が弱まる冬至をはさんでおこなわれた、異教世界の使者儀礼が、キリスト教に組み込まれ、変形されていったプロセスを描いています。

 

アメリカ先住民のズニ族やホピ族の神話を研究していたレヴィ=ストロースは、民俗学的な「カチーナ(精霊)」の儀礼と、サンタクロースの儀礼が驚くほどよく似ているとして、その様をや役割変換という重要な問題をとりあげています。

 

 

 

プエブロ・インディアンの「カチーナ」の儀礼で、子どもたちは「カチーナ」という神が、実は仮面仮装した人間に過ぎないということを知らされていない。しかしそれは子どもたちがこの「カチーナ」の神を恐れ、敬い、気に入られるために、良い子のふるまいをするためだけに行われるわけではない。・・・神話によれば、「カチーナ」神は、プエブロの先祖が移住を続けていたころ、川に溺れてドラマチックな最期をとげた、はじまりのプエブロの子どもたちの魂なのだ、と語っている。つまり「カチーナ」は、死が必然であるとともに、死後の生命もまた実在であると語る神なのだ」 P38

 

 

死者の領域とのあいだに、象徴的な通路を開くことによって、生きている者たちと、死者の世界ともどもを巻き込んだ宇宙には、目にみえない何かの力の流動が発生しています。

 

という意味で

「クリスマス」というのは

宇宙的な「交通」をつくりだそうとした祭りなのです。

 

「生」と「死」が交流し

生きている者たちが、死者の霊に対して贈り物をする。

 

ということが「クリスマスの基本構造」となっていったのだよ。

と教えてくれていますクリスマスツリー

 

 

古代マヤ先住民が「ナワール」と呼んでいた日の神は「精霊」とも「トーテム」ともいわれるものですが、やはり「死」と「生」がともに共存しあっているし、交流しあっているという意味で、ホピ族の「カチーナ」の有り様と同じです。

 

 

 

 

 

この本の最後の方で、中沢新一はこう解説しています。

 

クリスマスのプレゼントは、私たちの心の秘密の部分に、ひとつのアリバイをあたえている。クリスマスの贈与、それは生きていることの穏やかさに捧げられた「サクリファイス(供儀)」なのだ。

生きていることは、まず何よりも、死んではいないことによって、ひとまずの穏やかさを実現しているからだ。

 

民俗についての儀式、儀礼、死者との交流や神話素的な意味などについて、詳しく知りたい方は、この本を読んでみると面白いことがわかるかもしれません音譜チョキ

 

 

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