マヤカレンダー今日は「道・13」
「祖先」のトレセーナは今日で終わり、「道」が天界数「13」と合体して、神秘なるパワーとともに、次なる「コーン」トレセーナにゆずります
22日「コンドル・4」は、令和天皇の御即位を公に宣明する「即位礼正殿の儀」です。
パレードは延期されましたが、儀式は予定通りに行われるため、22日は国民の祝日です
パレードは台風19号の被災地が大変なことを考慮し、11月10日(日)に行われるそうですが、コーン周期の「コンドル・4」から、死の周期の「ワシ・10」に変わったことの、マヤ暦なる象意は何か見えるかしらね
そして20日は先日の福岡に続き、東京にて「弓玉ワークショップ&お茶会」が開催されます
感謝なことに10月20日、11月30日ともに満席御礼となっております
ハロウィン(サーウィン)が「ヘビ・13」というのは、ちょっと緊張しますね
死者のお祭りですからね。
以前書いた記事ですが、再度こちらでシェアします
ハロウィンの起源について、ナショジオに記事がのっていたので紹介します。
ハロウィーンの原型、古代ケルトの祝祭
カナダ、ノバスコシア州アンティゴニッシュにある聖フランシスコ・ザビエル大学の教授でケルト研究が専門のケン・ニルセン氏によると、ハロウィーンの前身はケルト人による「サーウィン(Samhain)」という新年を祝う行事で、記録を見ると非常に質素なものだったという。
「古代のハロウィーンの様子を示す記録が無いため、数百年前まで続いていた風習に基づいて推測するしかないのだが」。ネルソン氏は2008年のナショナルジオグラフィック ニュースの取材でそう話している。
しかし、現在のフランスのコリニーで1890年代に発見されたケルト人の青銅製の暦の分析から、サーウィンは少なくとも2000年前には既に行われていたことがわかっている。それは、収穫と狩猟が一段落する時期にケルト暦の1年の終わりを祝う祭だった。
祭りに合わせて牛などの家畜を解体して皮を剥ぎ、祭りの期間中はその皮を身に付けて儀式を行ったと言われている。キリスト教以前の原始的な自然崇拝に関連した祭りであった可能性が高い。
古代ローマには、現在のドイツとフランスに当たる地域に住んでいた一部の部族が賑やかな儀式を行っており、その儀式では動物の霊と交流するために獣の首や皮をかぶって扮装していたという記録が残っている。
このケルト人の祝祭儀式の、かがり火を焚き動物の皮をかぶる慣習は近年まで残っていたとネルソン氏は指摘する。「このような儀式が、アイルランドとスコットランドの聖マーチン祭(11月11日に行われる聖マルティヌスを記念するキリスト教の祝祭)で行われていたことは確実で、これが古い暦ではハロウィーンに当たるものだったのだろう。家畜に余剰があることもあっただろうから、動物を殺すのも理にかなっていたと言える」。
サーウィンは、死者を偲ぶための夜でもあった。その夜、死者の霊は生者と共に過すと信じられていたのである。ここでも儀式の詳しい内容は不明だが、数百年前には、サーウィンで家族が先祖のために食事を供え、時には食卓まで用意していたという。
さらに、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校ケルト研究センターのベティーナ・アーノルド氏によると、サーウィンの夜には人々が変装し、いたずらや大騒ぎをしていたという。同氏は、「Halloween Customs in the Celtic World(ケルト世界のハロウィーン衣装)」と題した小論の中で次のように述べている。「若者たちは死者の霊に扮するために、マスクやベールを被り、あるいは顔を黒く塗り、白い装束や藁(わら)で変装した」。
このような扮装の目的は、祭りで騒ぐ人々を邪悪な霊から守ることだけでなく、訪れた家の住民をからかうためでもあった。スコットランドなどでは、死者に扮して騒ぐ人々が、食べ物を要求しながら家々を回る習慣があり、これが現在の「トリック・オア・トリート(お菓子をくれないといたずらするぞ)」の原型となった。
前出の聖フランシスコ・ザビエル大学のニルセン氏は、「当時の扮装には顔を黒く塗るなどしたものが多く、これは幽霊や悪霊を表現していた」と語る。
ウィスコンシン大学のアーノルド氏の論文によると、サーウィンでは生者と死者の境界が消え去っていたのと同じように、男女の境界も無くなっており、若い男性は女装し、女性は男装していたという。例えばウェールズでは、ハロウィーンに女装していたずらする若い男性の集団は“鬼婆(hags)”と呼ばれていた。またアイルランドの一部では、古代ケルトの生殖の象徴であるレア・バーン(Lair Bhan)という白馬の扮装をした男性が、サーウィンで集団を率いて賑やかに行進していた。
キャサリン・クラーク氏は著書「An Irish Book of Shadows(アイルランドの影の歴史)」の中で、レア・バーンの衣装は、白い大きな布と木製の首で作られていたと述べている。「中には精巧に作り込まれた首もあった可能性がある。扮装する男性は首の人形全体を肩に乗せ、あごを操ってカタカタと動かしていたようだ」。
サーウィンの衣装は多くの場合、くりぬいたカブの中にろうそくを灯したランタンが付き物だった。後にこの習慣はアイルランド系移民によって北アメリカに持ち込まれ、新大陸原産のカボチャを使った丸っこいランタンとして再現されることとなる。
National Geographic
アイルランドとスコットランドで暦でサーウィンの日(11月11日)、聖マーチン祭の儀式が行われていたとありますが、そこはおそらくケルト族にとっての聖地に関係するはずです。
![b0213435_236161.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201210/13/35/b0213435_236161.jpg)
パワースポットとして有名な「タラの丘」
ケルト族がアイルランドに居住した時代には既にタラの丘は何らかの聖地として用いられていたそうです。
![b0213435_23243390.gif](https://pds.exblog.jp/pds/1/201210/13/35/b0213435_23243390.gif)
http://www.stonepages.com/ireland/tara.html
ここは古代、王を決める際のご神託がなされたという聖なる場所。
最もよく知られている歴史は6世紀まで続いたタラの上王の居住地としてで、王の即位は立石の前で行われたそうです。
伝説で有名な「運命の石」は、王になる者のみに石が反応を示したそうです。
毎年11月8日と2月4日に日光が差し込むよう設計されており、これはケルトの祭日と一致。
ケルト族がアイルランドに渡来すると、ミース王がタラの丘から全アイルランドを支配したそうです。
アイルランドの神秘な古墳 ニューグレンジ
アイルランドに残っている巨大な古墳には、5千年の秘密が隠されている。
石器時代から残っている5千年前に創られた神秘的な遺跡。
古代の建造物は死者が埋葬されるだけの単なる墓ではなかった。
驚くべき秘密が隠されていたことがわかった。
冬至の日を計算されて設計されていた。
入り口から差し込む太陽の光が、墓室へと続く18メートルの通路に差し混むことがわかった。
冬至の日の出を計算されて造られていることは間違いないと考古学者は話している。
埋葬の場所であったと同時に何らかの儀式の場であったと考えられる。
ケルト暦の新年にあたる頃は、とてもすごいエネルギーが感じられるそうです
現在では10月31日がハロウィンとなっていますが、11月8日から11日あたりはケルト民族にとっては今でも伝統的な儀式が行われるのかもしれませんね。
マヤ族とケルト族が語る秘境的な伝説や遺跡の象徴など、共通することがとても多いと感じています。
その中の1つが「死者」に対する考え方や儀式です。
マヤでもセノーテの泉の奥底には遺骨が見つかっていますし、洞窟が儀式として使われていたこともわかっています。
マヤでは死者の日は11月1日で、祖先や墓の周りを飾り立てて祝うのだそうです。
死者の日を祝う伝統の意味は、自分自身の過去やそこにいるすべての人たちを赦す愛の行為だといいます。
霊的な炎で不滅な魂を思い、人類を気づかうという心を育てることがマヤの魔術的な死者の儀式なのだそうです。
そんな共通する概念をハロウィンやサーウィン、マヤの死者の日を通して思うことは「死者の肉体は死しても魂は死にあらず。」ということ。
この時期「死」ということを深く考えてみてほしいと思います。
「ヘビ・13」は神聖なる力と血のイニシエーションが天界のエネルギーに共振します。
今年のハロウィンはあまり調子にのって、死者と交流しないほうがいいような気がしますけど・・・