マヤカレンダー今日は「水10」
台風の進行状況ニュースを聞きながら、スマホへの避難勧告が鳴り続けるなか、福岡への移動手段を考えながら情報を集めて、駆け足していたこの数日間が終わり、昨夜はぐっすりと眠ることができました
「妖精がいると思うかだって? ぼくはね、妖精なんて呼ばないよ。ほんとは名前なんてないんだ。
だってそうだろ? この世の始まりからいるっていうのに、どんな名前をどうやって付けるんだ?
始めからいた存在が、人間の世界に入り込んでいっしょに暮しているのに、何も解明されていないし、誰にもちゃんと理解されてもいないんだ。
だから人間は、妖精のことを可愛らしい生き物として想像する。小さな羽で月夜や自然の森のなかを飛び回る姿をね。でもそれは危険だとおもう。
目の片隅にチラッと見えているだけなのに。
人間の目ではとらえきれない神話や精霊たちは、現実世界と複雑に絡み合って、過去の時間や記憶が凍結されてしまっているんだよ。
名前がつけられない存在だけど、惑星の周りを公転するかのように、あちこちを飛び交いながらグルグルとまわっている時を超えた存在なんだよ。」
昨夜、うとうとしながら海外ドラマをネットフリックスでみていたんです
そのなかのセリフの一節がピンと琴線にふれて、書き留めたのが上のもの。
英語からざっくり拾って、意味がわかるように書き換えたものです。
マヤの精霊とか、ナーカル、ナワール、サイン、フナブ・クなどもみな同じです
時を超えた存在で、人間よりももっと前のはじめからいた存在で、だのに人間が勝手に名前をつけて、都合のいいように解釈してしまう。
なんて人間とは愚かな存在なのだろう
私はそんな勝手な人間でありたくない。
畏敬の念をもって向き合い、神聖なる存在に跪いて、威厳と荘厳さにかしこまって畏れを忘れず、愛と慈しみのこころで時空を超えた存在なるものの摂理と叡知と神秘を拝受する。
そういう姿勢でマヤ暦の精霊や神々に、真摯に向かい合い続けていたいと思っています