今日のマヤ暦は「サル・9」です
昨夜18日の夜22時22分、新潟でマグニチュード6.7の地震がありましたね。
ちょうど大学の院ゼミが終わり、皆で駅に向かって歩いている時でした
余震もまだ続きそうですし、新潟山形方面にお住いの皆さま、きっと三半規管が敏感に反応して地震酔いするかもしれませんが無理をなさらず、家族や地域の仲間と支え合って頑張ってくださいね
【弓玉先生を囲むワークショップ&お茶会】
福岡会場・東京会場共に満席になりました。
お申込み下さいました皆さま、ありがとうございます。
10月に皆さまにお会いできますこと、楽しみにいたしております
先日は父の日でしたが、父の日になると思い出す、悲しい思い出があります。
私の父の父、祖父は、父が生まれてからわずか1カ月後に、日本脳炎で亡くなってしまいました。夏の暑い時期に超多忙の毎日で、蚊に刺されたのがきっかけだったそうです。
赤子だった父の目がようやく見えるようになったときには、父の父はもう旅立った後です。
なので父には、父と遊んだり話したり抱っこしてもらった記憶がありません
父の家系は曽祖父の代から東京荒川区で「写真館」をしていました。
昔は今と違ってカメラで写真を撮るには特別の技術が必要でした。
曽祖父も曾祖母も、祖父も父も当時は「写真師」といったそうですが、「カメラマン」をしていました。
上の写真の真ん中に映っているのが曽祖父で、左右に映られているのが写真館のお弟子さんたちだったそうです。
祖父もカメラマンで、昭和にはいり、日本政府の内閣情報部が写真報道事業の一環として設立した「国際文化振興会」が開催する「報道写真展」のために、日本の様々な風景や暮らしなどたくさんの写真をとっていたと聞いています。
父が生まれたのは暑い真夏で、当時はクーラーとかあまりなかった時です。
祖父は連日のように写真を撮り続け、眠る暇もなかったそうで、唯一生まれたばかりの息子(私の父)の寝顔を見るのが楽しみだったそうです。
祖父の写真。祖父はイケメンだったな~
「私、一度は会ってみたかったなー。お祖父ちゃんに」といったら
「お父さんも会ってみたかったよ」
そう父が答えました
それが父の日の悲しい思い出なんです