4月12日はマヤ暦「夜・6」です
桜の時期も終わりですね~
今年の春は色々な意味で、象徴的な出来事がいっぱいですね。
そこにどのようなオントロジカルな意味が隠れているのか
是非自分なりにひも解いてみながらお過ごしくださいね
「夜・6」の今日は暦的にも潜在的にも「夜・13」へと向かっています。
「夜・13」は5月2日です。
令和として1日に新天皇が即位された翌日となります。
「夜」は「アクバル」といいますが、ここには潜在的に「イスラム」の歴史が隠されています。
イスラムの世界では「アッラー、アクバル」といってお祈りをしますね。
アッラーの神は偉大なり。というような意味ですが、マヤで「アクバル」は神殿、聖なる山、ハートチャクラ、洞窟などの意味をもつ神々の住処、心や魂の入れ物、あるいはそれ自体をあらわします。
この「アクバル」には歴史的にも宗教的にもたくさんの秘儀がこめられていて、マヤ暦の日の守護デイサインとして伝承されているのだと思います。
今日はそのような大切な「アクバル」を祝って、森の世界観を生きるということの大切な意味を書いてみようと思います。
先日とあるトークイベントに参加してきまして、そこで尊敬する中沢新一さんがお話されていたことに共通することです。
狩猟採集社会と農耕社会とをわけているものを考えてみたとき、定住と非定住や野生植物と栽培植物とかのように違いは色々あるけれど、一番大事なのは「狩猟採集社会のエネルギーの循環」だといいます。
人間は、森がうみだす植物や動物を狩猟し、それを体内に取り入れる。
そしてまた人間が森へかえっていく。
つまり全体としては増えも減りもしないので、惑星のバランスを保ち、「和」の原型のように全部が循環する世界を長らく続けてきました。
ところが農耕社会は、人間が欲しがる特殊な植物をどんどんと作るので、自然界ではありえないような増え方をするようになる。
そうすると過剰がおこり、そのたくさんできた農作物などをどう皆に分配するのかということが問題になり、力あるものがズルをしてたくさん横取りしたり、配分でストレスがうまれる社会となってきた。という歴史があります。
つまり、必要なものを必要な分だけ頂くという、足るを知る生活の営みから逸脱してしまう危険性を言っているわけです。
欲を出す人は、もっと増やしてもっと売ろう!という資本主義社会や経済至上主義、権力構造に巻き込まれながら、我を忘れ、気が付くと周りには誰も友達がいなくなる。みたいなことが起こりやすくなるわけです。
なので、森の世界観つまり循環を心掛け、過剰に走らないようバランスと和を心掛け、増えも減りもしないことを大切にしながら生きていこうよという世界観が大事だと思うわけです。
「夜(アクバル」の神殿、あるいは心の満足やハートを潤すものは、決して多くのものである必要などなく、今の自分のライフスタイル、背丈に見合った分を得ることで満足することができれば、それがアクバルは良しとしてハートチャクラを光で満たしてくれるよ
というものだと思います。