こんばんは。
マヤ暦今日は「イヌ・13」で「ナイフ」周期最後の日でした。
明日から陽気な「サル」のトレセーナにはいります
サル周期については明日書きますね
最近何回かキーワードとしてシンクロ登場するワードがあって
それは「無配慮」「無神経」「心無い言葉」です。
友だちや会社の同僚、家族の間でもふとした時に話した自分の言葉が相手を傷つけていたりとか、無神経だったりすることはあります。そんなとき信頼があれば「ごめんね」と誤解を正して、軌道修正し合うことで仲直りはできると思います。
ただ初めから「そういうことは人に言ってはいけない」という言葉や内容を、平気でいう人がいます。
平気でどころか面白がっていう人もいますし、無意識に何度も言ってそれでもそれでいいと考える愚者がいます。
一例をあげると
妊娠を告げてきた自分の愛する彼女や奥さんに対して「俺の子かどうか…実感ないー」などと、平気な顔をして「声に出して言葉を相手にそのまま伝えてしまう」ダメ男。
心の中で思ってしまうこともあるかもしれない。
でもそれはどんなに思っても「口に出して言ってはいけない言葉」です。
ネット上でも同じで、あなたの主張したいことを相手に伝えるのはよいとして、それに対して人として言ってはいけない言葉を使われたり傷つけられたりしたら、相手は「いじめる側」の人の心理と同じなのでもう相手にしても仕方がないのだと思うこと。
引き際が大事だと思います。
「沈黙」という言葉はとても大きな意味をもつ、大事な言葉の一つだと思っています。
沈黙はただ黙る。ということではありません。
その後ろ側には消失点があります。
すべての背景を一点に押し込めてしまう点であり、力です。
言語哲学者のウィドゲンシュタインはこう言っています。
「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」
世界全体について何ごとかを語ることはできない。語られうることはただ世界の限られた部分についてのみ、語っているわけです。
言葉は実はその人の心のイメージ(像)が現われているだけなのかもしれない。と思うのですね。
それでもすべては伝えきれないわけだから、事実のイメージに近い言葉を伝えようとするならば、そして相手に愛をもって伝えようとするならば、ならばこそ人は言葉を選んで表現しないといけないよ
と思うのです。
抵抗するとき、時をやり過ごすとき、相手との距離をおくとき、自分を整える時、天恵を待つ時などに「沈黙」は有用ですが、それは賢い使い方。
言わなくていいことを平気で言う人には
「お黙り」
の一言が適切かと
「沈黙すること」は時に強い武器になります