初夏以上の暑さに、細胞単位で自己対応が遅れてます汗

 

昨日は大学のゼミがあったのですが

その前に映画を観てきました。

 

「女は二度決断する」

 

ドイツ警察戦後最大の失態と言われる実在の連続テロ事件。

突然、最愛の家族を奪われた時、彼女がくだす決断とは―――。

 

この比類なき強度を持った結末に、すべての人の魂が震える。

 

映画館でもらったチラシに書いてありました。

 

映画『女は二度決断する』公式サイト

 

 

 

ネタバレになるので、これから観に行く方は

このままブログを閉じた方が良いかもですタラー

 

 

観る前にイメージしていた作品像と

実際に鑑賞したあとでは

私の中ではまったく違うものとなりました。

 

いろんな方が映画評されていますが

「テロ事件の恐ろしさ」や「夫と子どもを失った母親の苦悩」

裁判における「正義」「法の裁き」の疑問

移民や人種差別的な問題も含めたテーマは

もちろん重要なものですが

私にとってはそれほど重要なモチーフでなく

その周辺にフォーカスした印象の映画にみえませんでした。

 

逆に「神話」としてのモチーフが際立ってみえました。

 

女、母と子、赤子、血、罪と救い

生と死、結合

 

象徴的な神話素が

それぞれクリーンに際立っていたように感じます。

 

 

主人公のカティアが最後に見せた表情は

罪を罪で帳消しにする

生を死に融合させる

母なる海へと渡る

そのための「すがすがしいほど強い覚悟」

を感じさせました。

 

もう1つ

監督はもしかして「サイキック・ギーク」かも!とタコ

 

映画のタイトルですが

英語では「In the Fade」です。

 

Fade in やFade outはよく耳にしますね。

 Fade in だんだん明るくなる、はっきりしてくる

 Fade out 次第に暗くなる、次第に消えていく

「Fade」自体、消える、なくなる、衰えるような意味ですが

Slang 辞書で「Fade」の定義は

「to defeat a person in a fight」
戦いで人を倒す
という意味もあるようです。
 
英語のタイトルから想像すると
「消えてゆく世界へ向かって戦いに挑む」とか
「テロのなかに溶け込んで無くなってしまう世界」
ともいえるかもしれません。
 
なぜ日本語のタイトルが
「女は二度決断する」になったのか
そこの経緯が知りたい気もしますが。。

 

映画をみた感想からいえば

女は3度決断してるとは思いますが。。


 

一度目の決断はリストカットしてバスタブに入っているカティアが弁護士の電話を聞いたとき。

この時カティアは夫と息子が行ってしまった死の世界に行こうとしていた。

「犯人が見つかった」と聞いてカティアは

「生きる」

決断をしています。

そして正義をかけた裁判が始まります。

 

一度目に自分でつくった爆弾を犯人の車に仕掛けたとき

実はここが二度目の決断ともいえますが、もっと重要な決断があるので

ここはタイトル上なかったことにします。

でもここでカティアは実は「やめる」というおおきな決断をしています。

犯人たちだけが死んで、自分が生き残ることへの葛藤があったからです。

 

 

そして重要となる二度目の決断を促したのは

「経血」です。

事件以来ずっとなかった生理がきた瞬間、それまで生にも死にも属せずに狭間でもがいていた自分に

「生きている証」が訪れてしまいました。

 

ここでハッと我に返って

亡くなった夫と子どもを慈しみながらも

人生の転機として

次の自分の新しい人生へ踏み出すことができたかもしれません。

でも彼女は違った!

 

血が現われたからこそ

犯人たちとともに「自爆する」という覚悟が生まれた。

生と死が一つになるために、生の証があらわれたのです。

カティアのほんとうの覚悟が決まった時だとおもいます。

 

ラストシーンの二人の女性(カティアと犯人の女性)は

対称的です。

困惑と恐怖と自戒と自責とが錯綜している表情の犯人。

覚悟が決まって背負っていた爆弾を前に赤子のように抱え

まっすぐ前を向いてからトレーラーハウスへと突入するカティアの

すがすがしい表情。

 

海は生を育む母なる海、惑星の子宮です。

「血」とは

いろんな意味で深い意味をもたらすものです。ラブラブ