嬉しいこと

楽しいこと

幸せなこと

 

そんな幸運な時間ばかりならいいのに。

 

そう思うことありますよね。

 

上手くいかないこと

悲しいこと

苦しいこと

つらいこと

困難な壁が次々とやってきて

もう乗り越えられないよ。。。。。

 

とそんなとき

死んでしまったらほんと楽になれるのに。

 

そう思いますよね。

 

 

神を信じるか信じないか

宗教的な考え方や信仰は別として

 

神の計画には

人の苦しみや苦境ともいえる不幸なことも

あるのでしょうかアセアセ!?

 

 

奄美大島の加計呂麻島という南の島の

村の真ん中あたりの小高いところに

樹木が植えてあって石が置いて祀られてるだけの

「イベ」とよばれる簡素な「聖所」があるそうです。

 

ここには「シマ守りの神」という「高神」がいて

一年中そこにおられると言い伝えられているそうです。

 

 

この神について尋ねられた神女はこう答えたそうです。

 

「神が今も一年中ここにいて村を守ってくださらなかったら、

この村は一時も続くことができないのです。

こうしてあなたと話をすることもできなくなります。」

 

人類学者で思想家の中沢新一先生によると

この神女は現代の現象学者のような正確さで

「ことば」の本質について語っているといいます。

 

「シマ守りの神」という象徴的な存在は

現実の生活と村人の心をつなぎとめるため

ことばの機能を維持している神なのです。

 

 

村の皆が苦しい時

悲しいとき

苦難にあるとき

病に伏せているとき

 

「シマ守りの神」に守ってもらってるのだから

絶対に大丈夫だよ!

 

と村人同士が協力しあって

困っている人の背中をおしてあげる行為。

 

私はこれが苦難のときの

「神の計画」なのではないかと思うのです。

 

 

誰かが困っていたら

そっと「人の背中をおしてあげる」

言葉をかけて励ましてあげる。

自分が困っているとき

誰かにそっと背中をおしてもらう。

 

人はそんなとき

めちゃくちゃ嬉しくなってほっこり

涙があふれてきて笑い泣き

悲しみや苦難の壁を一歩ずつ

乗り越えようかなぁ。

頑張ってみようかなぁ。

と考えられるのだとおもいます。

 

「背中をおす」ということは

言葉の神と贈与の神が一緒に手をとりあって

苦難にあるひとの心を

村人の口をとおして

好意や行動や気持ちを通じて

具現化させているものなのだと思うのです。

 

 

誰かの背中をおすことで

 

実は背中をおしてる人も

 

とっても元気になれる音譜

 

 

 

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ウシシ

 

 

 

 

 

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