宇宙のはじまりの物語、その続きです。

 

 

①~③はこちら下矢印

 

 

 

 

 

 

さらなる宇宙の創造には、
●サットヴァ(純性)
●ラジャス(激性、動性)
●タマス(暗性、鈍性)

という3つの性質が必要でした。

 

 

そしてアーユルヴェーダでは、
●サットヴァ=「わたし」(主体)
●タマス=「あなた」(客体)
●ラジャス=「両者をつなぐエネルギー」(関係性)

というように対応しているといいます。

 

 

すべての源ともいえる、
大いなる存在「プルシャ」は、
自分を知りたい、見たいという動機から
「わたし」を生み出し、
それは個別性の誕生でもありました。

 

 

そしてさらに、
個別性を与えられたサットヴァ(純性=わたし)と
ラジャス(動性)をエネルギーとして、
「心」(マナス)を生み出します。

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「心」 マナス


また、
「わたし」が外側の世界から何かを感じるとき、
そこに「感覚」が生まれます。

 

 

「わたし」が外側の世界に何か作用するとき、
そこには「行為」があります。

 

 

そうして自然界は、「心」と同じように、
サットヴァ(純性=わたし)と
ラジャス(動性=エネルギー)から、
5つの感覚器官と、5つの行為器官をまた
生み出しました。

 

 

この5つの「感覚」こそが、
聴覚・触覚・視覚・味覚・嗅覚であり、
5つの「行為」が、
発声・操作・移動・生殖・排泄です。

 

 

先に生まれた「心」は、
感覚器官からその感覚を受け取り、
一方で行為器官にはその行為を指示する、
という役割を果たすものなのです。

 

 

 

さて、一般的にわたしたちは、
目や耳などといった感覚器官があることで、
各々に感覚をもたらしていると考えているのではないでしょうか。

 

 

目があるから見えるし、
耳があるから聞こえる、というように。

 

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ところがアーユルヴェーダではそうではなく、
「色」という精妙なエネルギーが存在したことが
そもそものはじまりであり、
だからこそ視覚が生まれ、
目や視神経といった視覚器官が生み出されたと
考えるのです。

 

 

そしてこの、感覚のもととなる
5つの微細なエネルギーのことを、
「タンマトーラ」といいます。
先ほどの「色」を含めて、
音・触・色・味・香と5つあります。

 

 

これら各々のエネルギーがあったことで、
それに対応する感覚、
そして感覚器官がもたらされたのです。

 

 

これは、やはりわたしたちの源である、
純粋意識・プルシャが
「知りたかった」「感じたかった」
からこその成り立ちだともいえます。

 

 

目や耳があるから、
ただ入ってくる感覚を受け取る、のではない。

 

 

そうではなく、
すでにそこにある「何か」とは、
いったいどんな音で、どんな手触りで、
どんな色で、どんな味で、
どんな匂いなのだろうか。
わたしは、どう感じるのだろうか。

 

 

すべてはそこから始まったということに
ほかなりません。

 

 

 

今はあらゆる情報が蔓延し、
五感にはたらきかけるものも
刺激的なものばかりです。

 

 

実際アーユルヴェーダでは、
病気の要因のひとつとして、
「五感とその対象の接触の誤り」を
挙げています。

 

 

だからこそ、
わたしが真に感じたいものは何か、
知りたいものは何か。

 

 

この授けられた感覚器官を、
何に、どう使うのか。

 

 

 

アーユルヴェーダは、
そうわたしたちに投げかけ、
問うているのかもしれません。