キラキラまやの2025年6月大阪旅⑦

キラキラまやの2025年6月大阪旅⑥

キラキラまやの2025年6月大阪旅⑤

キラキラまやの2025年6月大阪旅④
キラキラまやの2025年6月大阪旅③
キラキラまやの2025年6月大阪旅②
キラキラまやの2025年6月大阪旅①

 

中之島から北浜方面へ歩きました。


適塾 緒方洪庵が開いた学塾。福沢諭吉も門下生。大阪の蘭学の先生の住まい&塾は立派な建物だなぁと感じました。私の両親は萩出身なんです。適塾の門下生には長州出身の人も多かったようですが、萩の松下村塾とは全然違いました。
 


適塾の近くにある大阪市立愛珠幼稚園。現存する日本最古の幼稚園園舎。明治34年に建てられました。この日も子ども達の声がよく聞こえました。ここ、敷地も相当広かったです。幼稚園の創設者は船場北部の連合町会。最初は民間の幼稚園だったんですね。大阪は民の力が相当強かったんだなぁ、ずーっと昔からそういう都市なんだなぁと思いました。


旧小西家住宅史料館。ボンドメーカーのコニシの旧社屋、小西家住宅。タクシーの大きさと比較すると分かりますが、かなり大きな商家です。


これは時計屋さんだったかな。大阪は空襲に遭っていますが、古いビル建築がたくさん残っています。しかも、どれもこれも凝った建築です。昔の大阪財界人、民間の財力やパワーはそれだけすごかったんだなぁと思いました。大阪は江戸よりもずーっと前から発展していた都市ですし、首都にならなかった(首都機能を担うことがなかった)からかもしれません。

きんつばを食べに来ましたよ。

出入橋きんつば屋北浜店。


きんつば。非常においしい。ほんの少しの寒天で固めたあん。甘さは控えめ。ほっくり炊けた小豆のおいしさを堪能できます。今まで食べたきんつばの中で最も気に入りました。


あんみつ。白みつです。寒天とあんをシンプルにおいしくいただけます。白みつはピュアな甘味なので、最初はかなり甘く感じました。しかしその甘さがすーっと溶けていって、後に残らない感じが印象的でした。

大阪旅の最後は上町台地の南端、四天王寺へ行きました。

こちらは西の鳥居。お寺なのに鳥居があったと後日気づきました。訪れたときも何の違和感もありませんでした。日本で最も古いお寺だからなのかな。元々は神仏習合ですよね。長い歴史の中では神仏分離はつい最近。


南から北(右から左)に仁王門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並んでいます。

 


四天王寺は日本仏法最初の官寺です。鎮護国家と衆生救済のために聖徳太子が建てたと言われています。聖徳太子が建てたお寺といえば法隆寺。法隆寺と四天王寺を訪れた私の印象をそれぞれ思い出してみると、四天王寺は衆生救済のために設けられた場所という感じがしました。良い意味で世俗に溶け込んでいるお寺というか。

聖徳太子は四天王寺創建の際、四箇院を設置したそうです。
◆敬田院←仏教を元にした教育事業
◆悲田院←社会福祉事業
◆療病院←医療事業
◆施薬院←医療事業

そして今現在も、四天王寺と隣接した場所に学校(四天王寺学園)、病院(四天王寺病院)がありました。四天王寺のほぼ境内みたいな場所に病院や学校があるのが印象的でした。四天王寺福祉事業団もあるそうです。聖徳太子が始めた衆生救済事業が今も続いているんですね。

もうひとつ印象的だったこと。四天王寺は上町台地に建っていて、台地の西側は海でした。案内板の説明の一部を引用します。

かつて大阪湾は今よりさらに内陸部へと食い込み、四天王寺のすぐ西にまで迫っていました。上町台地からは、水平線に沈んでいく美しい夕陽の姿を眺めることができました。

四天王寺のシンボルとなっている西門の石鳥居は、古来より西方極楽浄土の東門にあたると信じられており、現在も真西に陽が没する彼岸の中日に、夕陽を拝して極楽浄土を観想するという修法「日想観」が行われています。

四天王寺を訪れた際は、ぜひ一度ここで足を止め、沈む夕陽に手を合わせてはるか西にあるという極楽浄土の情景を思い描いてみてください。

 

西門の石鳥居から見た太陽。15時過ぎ。6月なので太陽がまだ高かったです。この石鳥居のすぐ先に海が広がっていたんですね。この鳥居は西方極楽浄土の東門であって、この先に極楽浄土がある。そう思って眺めると、何かそんな気もしました。ここから海、そして極楽浄土へ向かって開けているような。

まやの大阪旅はこれで終わりです。大阪のこと、いろいろ知ることができて楽しい旅でした照れルンルンキラキラ