マルチニーク豆知識① | MAYAオフィシャルブログPowered by Ameba

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ニューアルバム“マルチニークの女”

発売日まであと約1週間となりましたドキドキ


でも・・・。

マルチニークってなに?

マルチニークってどんなとこ?

と思われる方もいらっしゃると思いますので、

これからマルチニークについて少しずつblogに書いていこうと思います。


それでは、みなさんもご一緒に、バーチャル・マルチニークの旅へ・・・

GO! GO! GO! 飛行機DASH!



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マルチニーク島は、カリブ海に浮かぶ西インド諸島の中の

ウィンドワード諸島の北部に位置する一島。山がちな火山島です。


1502年:クリストファー・コロンブスにより発見されました。


「世界で最も美しい場所」とコロンブスが称賛し、

彼を魅了したマルティ二ーク島の語源は、

島に住んでいたカリブ族の言葉でマディ二ーナ(Madinina:花の島)、

またはマティ二ーノ(Matinino:女の島)とされる。


この女の島と言う言葉にビビッときた、アナタ!サーチ目

それはそれはエキゾティックで美しい女性が

島にはウジャ~と居るらしいですよ。ラブラブ!

そんな女性達の写真は後日お見せするとして、にひひ



マルチニーク島はフランス皇后ナポレオンの妻、

ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの出身地であります。


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裕福な貴族の娘で、

エキゾチックな美貌の持ち主だったものの、

大変な浪費家でもあったそうです。

彼女の人生について少し触れておきましょう。


1779年にアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚。

一男、一女を産みましたが、当初から2人は夫婦仲が悪く1783年に離婚。


離婚後マルティニーク島の実家に戻っていたジョゼフィーヌも、

島での暴動の多発に不安を感じ、フランスに戻りましたが、

カルム監獄に投獄されてしまいます。

しかし、ロベスピエールの処刑により8月3日に釈放されます。


その後、総裁政府のポール・バラスの愛人となっていたところを、

年下のナポレオンの求婚を受け1796年に結婚。

しかし、彼女はナポレオンを無骨でつまらない男と見ており、

次々と愛人を作り浮気を繰り返しました。

そうしたこともあって、

ナポレオンの母や兄弟姉妹たちとの折り合いが悪かったそうです。


エジプト遠征中に、

ジョゼフィーヌと美男の騎兵大尉イポリット・シャルルとの

浮気を知ったナポレオンは、フランスに帰国後さすがに離婚を考えました。


しかし、彼女の連れ子の涙ながらの嘆願と、

ジョゼフィーヌへの愛から離婚は思い止まりました。


ジョゼフィーヌはこの頃から徐々に

ナポレオンを真摯に愛するようになっていくのですが、

反対にナポレオンのジョゼフィーヌに対する熱烈な愛情は冷めていき、

他の女性達に関心を持つようになっていきます。。。



いやはや、

愛した時は貴方はいない。ってやつですねぇ。

しかし、ジョゼフィーヌのような自由奔放な女性って

どの時代にも存在したのですね。男性を次から次へと虜にする魔性の女。

それこそが、“マルチニークの女”なのかもしれません!! (続く)



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FANM MATINIK DOU~マルチニークの女~

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