実は今『三文オペラ』のお稽古は数日お休み。
OFFとなると毎回、観劇だったり鑑賞だったり、インプットがしたくなる。

蜷川さんがいつも言っていた、
「俳優は、より良い演技を見ること、訓練して演じることの2つでしか成長していかない」という言葉がずっと耳に残っているからかもしれない。

世の中には色んな演劇、色んなパフォーマンス、色んな芸術があって、それらから学ぶことで、より良い俳優が生まれるという。

そんな、ありとあらゆる良いもの を見る度に、どうしても私の中で悔しい思いが湧く。
足りない自分を感じたり、時に人を羨んでしまったりする。

同期が活躍してる姿や報告を見ると、おめでとうと思いながら、何故そこに私も居ないのだろうなんて考えたりする。
(でも蜷川さんのとこに居る時なんて常にそんな状態だった気もする。)

ただ不思議なもので、こういう感情が起こるかどうかは、その時々で関わってる作品によって違う。
『半神』に取り組んでいる時はこういう感情よりはがむしゃらに前のめりに作品に食らいつかねばであったり、共演者やスタッフの皆様との愛情の確かめ合い(のようなものだったと思っている)だったり、そんなことに格闘していた気がする。

今になって何故またこんな悔しさの感情が湧いてくるのか…?
三文オペラの演出家であるコルセッティ氏が、性格は違えど、演出の性質がどことなく蜷川さんに似ているからなのかもしれない。

はたまた、今取り組んでいる「ポリー」という役が、今まで演じてきた役とは異なる性格の役だからなのか…?
彼女は、理知的だけど、育ちは良いわけではなく、そしてコルセッティ氏曰く「常に機嫌の良い女」らしい。とても、魅力的な女。
(ポリーのことを言及しだすと長くなるのでそれはまた改めて。)

古典的戯曲で、立場上、ヒロインであるという役を演じるのは「リチャード二世」以来。
なんだかんだ、色んなことが相まって、昔のような闘争心が湧いているのかしら…。

ポリーという役は、若く猛々しい魂が宿っていると私は思う。

勝ち負けではないけれど、昔の己に負けたくはない。
悔しい自分を悔しいままに終わらせないようにしなくては…。
なんて、数年前にも思っていたことを、今もまだ繰り返し反芻してしまうのですね。。


……取り留めもない雑記、でした…m(_ _)m