2月21日

約1週間の糖尿病治療入院のはずが、
重い荷物(肝細胞癌、膵臓癌)を抱えて
2週間半で退院となった。

父は手術を拒んでいた。
じーちゃんが83歳で膵臓癌の手術をし、
開いてみたら手遅れですぐに閉じ、
その後3ヶ月で退院できず逝ってしまった。

じーちゃんとはよく花札🎴をした。
寡黙で私のこと嫌いか、いつも怒ってる?
と思わせるような人だったが、
幼稚園の頃からじーちゃんに懐いていた。

軍鶏を飼っていて、軍鶏友達が来ると、
茣蓙を丸く広げ、その中で決闘させた。
切れない包丁で🔪葉っぱをざく切りにして、
餌に混ぜて軍鶏や鶏にご飯をやり、
🥚生みたての卵を取ったり、
時々、手鼻(手で片方の鼻をつまみ👃もう片方から鼻水をビュッと出す)が飛んで来るのを避けながら、いつもじーちゃんの後をついて回った。
じじチャリ🚲に乗って出かける時もあった。
自転車くらい細く、
骨と皮の色黒いじいちゃんが亡くなったのは
私が高校生の時、
学校から帰って、固く動かなくなったじいちゃんに会いに行くまでの、門から玄関への道のりが
長く一歩一歩が重く、その間、溢れる涙が視界を掠め、🚪たどり着いた時には泣き崩れていた。
這いながら重い身体を引きずるようにして
じーちゃんの枕元まで行った。
いつもの寡黙なじーちゃんがそこにいた。

父はセカンドオピニオンを受けることにした。
紹介状を書いてもらい、車で30分ほどの癌センターに行くことになった。