横田滋さんの訃報に触れ、どうしても書かねばならないことがある。
ただSNSで軽々しく書くのもどうかなと控えていたがやっと決心がついた。
僕は、一度だけ横田夫妻にお会いしたことがある。
それは生涯忘れることのない貴重な体験である。
2001年9月、アメリカで同時多発テロが発生した。
テレビから流れる衝撃映像!旅客機が貿易センタービルに衝突して、
その数分後に、ビルは崩落した。ここから世界は一変することになる。
そんな世界を揺るがす大事件から1ヶ月後、僕は2度目の結婚をした。
1度目の離婚で、もう結婚はコリゴリと思っていたのに、学習能力がないのか、
あまり深く考えず再婚してしまった。もう36歳になっていた。
それでも2度目の結婚は、離婚以来忘れていた感覚が徐々に呼び出され、
普通の仕合わせがどんなに大事なことか思い出させてくれた。
家に帰れば電気が灯り、食事の用意がされている。
やっぱり夫婦っていいなと噛み締める毎日。
それから約1年、淡々と時は流れた・・・
2002年10月、ビッグニュースが飛び込んできた!
小泉首相の訪朝により、北朝鮮に拉致されていた被害者5人が帰国することになった。
連日大きく報道され、5人が飛行機のタラップから降りてくる映像は、
何度も見ることになる。
その中に、写真撮影をする横田滋さんの姿があった。
残念なことに、帰国された拉致被害者の中に、滋さんの長女、めぐみさんの
姿はなかった。
それから数ヶ月後、住まいの最寄駅のJR川崎駅を妻と歩いていると
横田滋さんに似た人を見かけた。
近づくと滋さん本人だった。
隣りには妻の早紀江さんがいて、二人は、拉致被害者のための募金活動を行っていた。
当時、夫妻も川崎駅近くが住居だったと思う。
早速僕らも募金をさせていただいた。
滋さんは終始ニコニコしながら募金活動を行っていた。
すると妻は滋さんに、「わたし、めぐみさんと年が同じで、誕生日も
1ヶ月違いなんです」と言った。
「へーそうなんですか!」と滋さんは言いながら、僕の傍にいる妻の顔を
マジマジと見つめた。
そして、「今のめぐみの姿は、あなたの様な感じなんでしょうね」と
少し微笑みながら言った。その時の妻の年齢は、38歳だから、めぐみさんも
38歳ということになる。
「12歳の時が最後ですから、あれから26年です」と滋さん。
僕らはその言葉に何も返すことができなかった。
滋さんはしばらく妻の姿を見て、最後にこんなことを言ってくれた。
「めぐみに会えたような気がします。本当にありがとうございます」と。
妻はその言葉に堪らず泣き出し、僕も涙をこらえた。
そして、「応援しています。頑張ってください」と言ってその場を去った。
横田夫妻に出会ったのは、その時が一度きりだった。
あれから18年、今年6月、滋さんは逝去された。
滋さんと出会った人たちの証言によると、滋さんは、めぐみさんと
同じくらいの年齢の女性と出会うと必ず年齢を聞いたらしい。
もしかしたら、めぐみさんと同じくらいの女性を見ることで、めぐみさんの
面影と重ねていたのかもしれない。
めぐみさんと再会することも叶わず、天国へ旅立った無念さは、
幾ばくのものだっただろうか?僕らのような他人が軽々に口にすることはできない。
その後、滋さんの遺族が会見を開いた。
そこで長男の哲也さんはこんなこと言った。
「何もしていない方の安倍批判は卑怯。拉致なんかないと言ってきたメディアの責任」と。
大変勇気のいる言葉である。その言葉を聞いた時、どんなに困難な道を
家族と共に歩んできたのか、少しだけ分かったような気がした。
哲也さんの会見後、あるA議員がTwitterで批判的なことを書いていた。
それを読んだ瞬間、あまりの怒りに震えた。
「まったく何もしていない蚊帳の外のお前が言うな」
こんな無神経な人間が国会議員をやっているのが日本の現実だ。
横田さんの無念さを思い浮かべると、今でも怒りが込み上げてくる。
と同時に、優しい笑顔で人に接していた姿も思い出す。
どうか横田滋さん、安らかにお眠りください。
