今年は、原田芳雄やジョー山中が亡くなり、
そして、映画監督の森田芳光氏が亡くなった。
1981年 「のようなもの」 長編映画初監督
1983年 「家族ゲーム」
1984年 「ときめきに死す」
1985年 「それから」
僕が高校生のとき、「のようなもの」で森田監督の存在を知った。
その映画を見たときから、この人は、ちょっと普通の監督とは違うと、高校生ながらに感じていた。
その後、松田優作を起用した「家族ゲーム」は、国内外で高い評価を得た。
「ときめきに死す」は、沢田研二が主役を務めた一本で、カメラワークへのこだわりが最高によかった。
当時高校生だった僕にとって、森田監督は、もっとも影響を受けた監督のひとりである。
彼は、脚本も自ら手掛けるほど映画への思い入れが深かった。
松田優作と初仕事となった「家族ゲーム」
実はこの出会いは、優作自身にとっても大きな転機を迎えることになる。
この二人のエピソードは大変興味深い。
森田監督と優作は、同い年である。
当時、優作に対する周りの接し方でいえば、優作のご機嫌を伺うような感じだったと思う。
しかし、森田氏は気軽に、「優作はどう思う?」なんて言い方をしていたらしい。
優作相手に、タメ口で接するなんて考えられなかったときである。
優作は、いままでにいないタイプの監督と出会い、その魅力に引き込まれていく。
また、優作自身もアクションスターからの脱皮を願っているタイミングでの出会いだった。
「家族ゲーム」では、優作のアクションスターではない、隠れた才能を見事に開花させている。
斬新な映像表現、優作の新たな役作り、すべてがマッチして大ヒットとなった。
そして1985年には、二人でタッグを組んだ「それから」が公開される。
原作 夏目漱石
監督 森田芳光
出演 松田優作 藤谷美和子
その後、優作は、「ア・ホーマンス」という映画で、小池監督が辞任したことから、自ら監督を、
兼任することになった。
撮影現場で、優作はよくこんなことを言っていたらしい。
「あいつが、このシャシン(映画)を観たら、どう思うだろうな?」
ラストシーンを撮影するとき、優作はいつまでたっても車から出てこなかった。
心配した助監督が車に行くと、優作は、「本当にこれでいいのか?自信ねぇよ」と小刻みに体を震わせていた。
優作ほどの大スターでも、初めての監督だったのでその緊張は、並大抵のものではなかったのだろう。
その後、映画は完成し、森田監督を呼んで試写会が開かれた。
「どうだった?」と優作。
「稔るほど、頭を垂れる稲穂かな、天狗になっちゃダメだよ!優作、面白かった」と森田監督は言った。
監督の感想を聞いた優作は、恥らいながらも嬉しそうだったらしい。
優作が現場で、呟いていた言葉、「あいつが、このシャシンを観たらどう思うだろう?」という
あいつとは、森田芳光監督のことだった。
森田芳光という真摯な映画監督を前にして、優作は、無垢に緊張していたのだろうか?
優作にとって、森田監督の存在は、それほど大きなものだった!
映画という得体のしれないものに心血を注いだ、二匹の「龍と虎」
もし天国というものがあり、二人が再開したならば、どんな会話がなされているのだろうか?
日本映画に偉大なる功績を遺した映画人たちが亡くなり、寂しくなる一方だ。
謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。




