夜中、目が覚めて時計を見ると、3:33でした。
わたしは「3」という数字が昔から好きでした。なぜかは分からないし、そもそも理由なんてありません。もし理由があったとして、そんなものに一体なんの意味があるのだろうと、いつも思います。それでもやっぱり生きていれば理由を聞かれることもあって、そのたびわたしは考えれば考えるほど遠くなっていくそれに、少しこわくなりました。つまるところ「3」が「3」ではなくなってしまうような、そんな気がしたのです。だからなぜ好きかということをここで説明できそうにはないですが、ただどこからか湧き上がってきたように、「3」が好きです。
そんな「3」が3つも並んだ、3:33にわたしは目覚めました。
誰もが毎日のように出くわすお昼の3:33(つまり15:33)とは訳が違います。一般的なことは分かりませんが、早寝早起き型のわたしにとっては、滅多とお目にかかれない3:33です。それだけでとても特別なことのような気がしました。これは誰かしらからの何らかのお告げで、これから自分になにか特別なことが起こるのではないかと、柄にもなくウキウキしたりしました。もう一度目を閉じれば、それはそれはしあわせな夢を見ることができるような気がしたし、そしてその夢から覚めた後には、それはそれはしあわせな一日がわたしを待っているような気がしました。いつもより天気が良かったり、信号にひとつもひっかからなかったり、ふらりと立ち寄った本屋さんで好きな作家さんの新刊を発見したり、街で若かりし頃のロバート・デ・ニーロ似の外国人さんがすれ違いざまにウインクしてくれたり、ばんごはんが好物のきんぴらごぼうだったりするのだと思いました。そう信じて、3:34に変わった時計を確認したあと、もう一度目を閉じました。
しかしそのあとわたしは夢さえ見ることなく朝を迎え、いつも通り当たり障りのない一日を過ごしました。若かりし頃のロバート・デ・ニーロ似の外国人さんとすれ違うこともなければ、夜の食卓にはわたしが世界で一番嫌いなしいたけが並び、天気は見事なまでの曇りでした。
ひとつだけ言えるのは、夜中の3:33に好きな数字が三つ並んだだけで、来たる明日が素晴らしいものになるなんて思えた、あの瞬間のわたしが、世界で一番おバカで幸せ者だったということです。