朝がすきなので、あいさつはもちろん「おはよう」で統一したいです。
だから、おはよう。
日本語は読むのも書くのも、楽しくて難しいです。昔なにかの本で、よしもとばななさんが言っていました。
「文を10日書かないと、10日分、へたくそになっている。」
本当にその通りだなぁ。放っておいていると、すぐ下手くそになります。それでいて、中々上手くなりません。こんなにもどかしいことはないなぁ。
それでもわたしは文章を書くときに使う頭が、いちばん好きです。その次に、明日の朝ごはんを何にしようかと考えている頭が好きです。(だからと言って、朝ごはんを食べるより文章を書くことの方が好きというわけではないです。)
文章を書くときに使っている頭は、あれでもないこれでもないと、次々とタンスの中から日本語を出してきては私に披露してくるのですが、その様子があまりに愉快なのです。また、しっくりときた日本語に私が首を縦に振ったときの、あの満足気な様は、一度見たら忘れることができません。もしお見せできるものであれば、今すぐにでもわたしはこれを一本の映画にし、大規模な完成披露試写会を開いたでしょう。そして誰もがその一部始終に、目を奪われ、奪われたその目を奪い返しては輝かせたでしょう。
それなのに、この愛すべき光景が、誰かの御眼鏡に適う日はきっと来ないのです。だってその一部始終は、私の頭の中にあります。
まさか頭を割って見せるわけにもいきませんし、誰もそんなことを望んでなどいません。私だって望んでいませんし、万が一映画会社が多額の出演料や製作費とともに映画化を頼みにきたとしても、私は全身全霊で拒否します。だって頭を割るなんて、きっとものすごく痛いです。だからお断りします。ごめんなさい。
さて、ここでひとつだけ言っておきたいのですが、ここまでに書いたことはすべて戯言でありまして、映画化のオファーなんてただの一件もくるはずがありませんし、万が一、いや億が一映画化されたとして、こんなもの、誰がお金を払って観に来るのですか?
それなら、わたしが文章を書くときに使う頭の次に好きな、明日の朝ごはんを何にしようかと考えている頭の方が、よっぽど集客力があると思います。
明日の朝ごはんを何にしようかと考えている頭は、頭の中という決して料理をするに適してるとは思えない環境で、あっという間に明日の朝ごはんを作ってみせます。その手際の良さは惚れ惚れするほどで、きっと瞬く間にテレビ局から10分間の料理番組のオファーがくるだろうし、その料理番組が軌道に乗れば、そのうちレシピ本を出さないかと、プロデューサーが話しに来るでしょう。こうなればテレビの出演料と印税で、明日の朝ごはんを何にしようかと考えている頭は、かなりの大金を手にするでしょう。そうなれば明日の朝ごはんを何にしようかと考えている頭は、「私はいつまでもお前の頭の中にとどまっているような奴じゃない」と言って、わたしを捨ててどこか遠いところに行ってしまうはずです。そんなのかなしい。
だからやっぱりわたしは文章を書くときに使う頭が、いちばん好きです。明日の朝ごはんを何にしようかと考えている頭に比べ、集客力もなければ需要もない、文章を書くときに使う頭が好きです。(それでもやっぱり、文を書くより朝ごはんを食べることの方が好きです。)
そんな話はどうでもよいのです。
はじめましての記事でこれほどまでに話が逸れてしまうなんて、このブログのお先は、はっきり言って真っ暗です。さらに集客力も需要もない、文章を書くときに使う頭で書くブログですから、読んでくださる方がこの世に存在するのかさえ、わたしには分かりません。それでも「飽き」や「マンネリ化」といったような類のものが訪れるまで、私はきっと書き続けます。約束はしません。三日坊主になるやもしれません。それでも三日目の私は、三日前の私より、三日分文章が上手くなっているはずなので、それでよしとしませんか。