キャンピングカー貯金、はじめました。
「買えるわけない。いくらすると思ってるんだ。」
いままさに貯金箱に500円玉を入れようとしていたわたしに、誰かは言いました。
500円玉を集めてキャンピングカーを買う。それが途方もなく長い道のりであることは知っていたし、この500円玉たちがキャンピングカーに換わる日なんてひょっとしたら来ないんじゃないかって、気付いてたけど、気付かないふりをしていました。そしてわたしはこれからも気付かないふりをします。それがいくら愚かなことであろうと、です。まわりのみんながもう止めることもやめて、興味すら持たなくなってしまったとしても、です。
もしこの500円玉たちがキャンピングカーに換わる日が来なくとも、500円玉を一枚貯金箱に入れるたび思い浮かべたキャンピングカーはとても素晴らしかったし、そのキャンピングカーに乗って旅する夢を、手に握りしめた500円玉に何度も馳せたりして、それだけでわたしは、なんだかとてもしあわせでした。
それと同時に500円玉貯金とは、そのように少し切なくてほろ苦いものなのだとも思いました。ほんとうに手に入れることよりも、いつか手に入れることを夢見ている時間こそが、いちばんしあわせなのです。おつりの中に500円玉を発見するたび、そしてその500円玉を貯金箱に入れるたび、わたしはキャンピングカーのことを思い浮かべます。キャンピングカーは夢のまた夢のそのまた夢のような話かもしれないけれど、なにもしていないより、500円玉を入れた分だけキャンピングカーに近付いたような気がして、夢はより鮮明に、大きくなっていきました。
しかし実のところ、わたしはちっともキャンピングカーに近付いてやいなかったし、いつまでたってもキャンピングカーは夢の中でしか走ることを許されませんでした。だって500円玉は一向に貯まる気配がないのです。なぜならわたしが貧乏だからです。それなのに、あまりにも貯まらないので、ほんとうはそんなことしたくないけど、大好きな家族を疑うこともしました。「もしかして、この貯金箱から500円玉をとったりした?」と聞くと、みんな笑いながら「とるほど入ってないやん」と言いました。お父さんは「とるどころかあまりに入ってないから不憫に思って、この前一枚入れといた」と言いました。やさしい。こんなにもやさしい家族を疑うなんて、、、恥ずかしい。ほんとうに恥ずかしいです。穴があったら入るので、どうか上から土をかぶせて、そして埋めてください。そしてたまに水をやってください。夏頃には大きな花を咲かすでしょう。それはそれは珍しく、誰も見たことのないような奇妙な花を咲かすので、あなたはその種を売り、売ったそのお金でキャンピングカーでも買ってください。