2024/07/07 | 知奈津のブログ ~Open Heart~

知奈津のブログ ~Open Heart~

どこにいてもここにいる

一瞬に、
毎日に、

ありがとう

愛に戻って、そこで寛いでいたい

 

 

自分の中にこんな声があるなんてことを

わたしは思いもしていなかった。

 

幸せとは、

 

自分のほしいものを手に入れる、豊かになる

理想の暮らしをする

やりたいことや夢を叶える

 

こういうことだと思っていたから。

 

 

でも、こんな願いを持っているわたしは、

なにかがほしいわけじゃない、

こうなりたいとか、そういうことでもない、

そんな風に思っていて、

 

そういう外側のことに対する願望は、

意外なほど出てこなかった。

 

 

自分が愛の存在であることを思い出す

そこに寛ぐ

 

それがわたしの心の声で本当に望んでいることであると気づいても、

皮肉にもそれがわたしにとっては難しいことでもある。

 

その声に気づいた後、正直そう思った。

 

 

 

 

 

最近気づいたこと。

 

わたし自身が「 ない 」という意識で物事をみている。

 

ということ。

 

たぶんこれはお金があっても、なくても、

この意識でいるような気がする。

 

わかりやすいから、お金で例を出したけど、

お金だけじゃなく、才能とか持っているものとか、

自分という存在に関わるもの全部。

 

 

「ない」という意識から、

 

自分にはないからその分ちゃんと働いてお金を得ないと、

どこかの勤め先で働かないと、

自分にはなにも才能がない、できない

 

とか、そういう発想に派生していく。

 

仕事は、

 

生活のため、お金をもらうためという感じ。

 

 

仕事と生活と自分というものが分離しているようなあり方。

 

自分と、心と、身体、魂も。

 

 

 

 

 

 

 

 

本屋さんで、

 

仕事は、自分を最大限に表現すること。

誰かに喜んでもらうこと。

自分を輝かせること。

 

そんなフレーズを見て、

 

そういう発想がなかったわたしは、

こんな意識で仕事している人もいるんだ、

と驚きと感銘を受けた。

 

 

被害者意識。

 

もうないと思っていたけど、

自分の現実を見て、自分はかわいそうだとか、非力な存在だと思って、

他者にどこかわかってほしいと思っている自分がいた。

 

 

自分が持っていた意識やあり方が悪いとか、間違っていたとか、そういうことではなくて、

そんな自分を責めるのではなく、

 

でもその意識でいたことに気づいたのなら、

そこは見つめて、認めて、受け入れて、

変えていけばいい。

 

そう思った。

 

もう長いこと馴染みのある意識、パターンなどを変えるのは、

意識してちょっとした訓練ではあると思うし、

時間はかかるかもしれないけど、

 

気づくこと。

 

そこから始まっていくような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

わたしにはまだ馴染みが薄い

「 ある 」という意識。

 

現実をみて、それで幸不幸や

自分の存在価値みたいなものを感じていたけど、

それは逆で内から外が作られていたのかもということ。

 

その意識、みかたでみるのならば、

自分にはあるという前提でみるのならば、

 

新たになにかをする、付け加えるというより

 

自分を囲っているものから自由になること。

内側を整えること。

本質の自分と繋がること。

 

そういうことなのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

今の自分がどんな状態でもいい、

 

過去の自分も今の自分も悪くない、

 

 

過去は過去として。

 

 

七夕の今日、

短冊に書いたのは、

 

今を生きる。

 

ということ。

 

 

短冊を書いたことで、

 

仕切り直しというか、

なんかちょっとフレッシュな気持ちになった。

 

 

殺人的な暑さなので、

出掛けるのも億劫だったけど、

近所の神社でたくさんの風鈴の音、

短冊、本物の笹や緑をみて、

 

家でのクーラーでは感じられない

 

「 涼 」を感じたのでした。