今日は不思議な巡り合わせだなって思ったことを綴ってみます。
小さい頃から海が好きで、
夏休みになると毎年海にいっていました。
子供用のボディボードで波乗りしたり、
貝殻集めたり、砂で埋もれたり。
でも、泳ぐのはあまり好きではなく、
水の中がこわいっていうのがずっとありました。
学校の水泳でも水の中で息ができなくなるのがすごく苦しくて、途中でよく立ってました
水の中がこわいくせに、海は大好きなわたしは
7年ぐらい前のある時、
ダイビングで水中の世界をみれたらどんなにきれいなんだろう
っていう好奇心から、
無理かもって思ったけど、ダイビングライセンス講習に行きました。
前触れもなく突然思い立っていきなり
講習初日、施設のプール(足がつかない深い)での練習の時点で、
マスクのエア抜き?だったかな、がうまくできなくて、
こんなんで海に行ってパニックになったら死ぬ!
って思ったわたし。
初日でリタイアしました。
急にライセンスじゃなくて、まずは体験からとか、
そもそもあれだけ水の中がこわいと思っていたのになんでそんな思いきったことができたのか?とか不思議なぐらいなんだけど、
もったいないことをした、とかいうことは当時思わなかった。
なんでこんなに水の中がこわいのかはわからないけど、
強い恐怖心があるのを思い知ったのと、
恐怖心で潜れなかったことは残念ではあったけど。
大人になってからは水着で海に入ることもしなくなっちゃったし、
それからしばらくはダイビングのことを思い出すこともなかった。
3年前ぐらいかな?
地元の海で久しぶりに水着で泳いだらとても気持ちがよく、懐かしい感じがした。
海で泳ぐのは、大学の時の沖縄旅行以来だったから。
そのあと、奄美に行ったのだけど、
奄美の浅瀬の海で泳いだけど、シュノーケルとかは一切やらなかった。
興味がなかったし、
海の話をされても、自分は潜れないって思っていたから。
そんなわたしに転機があったのは、
石垣島に来てからのこと。
知人がライフジャケット、シュノーケルマスクとか1式貸してくれて、
石垣島で人生初のシュノーケルをした時、
海のあまりのきれいさに感動した。
全身で感じたあの感動と興奮はことばにできないものだった。
シュノーケルだったら潜らずとも、
水の中の魚とかサンゴをみることができることを知った。
こんなにきれいなんだったら、
もっと早くやればよかった、とも思ったけど、
わたしにとっては、いろいろがベストなタイミングだったのだと思った。
ちょうど1年前の夏、
与那国島に行こうとして、船の乗り場を下見に行った時、場所がわからず、偶然近くにいた人に聞いたら、ダイビングショップのスタッフさんだった。
その時、そのスタッフさんと話していて、体験ダイビングやってみようかなって、
また再びダイビングに意識がむくきっかけがあった。
与那国は体調不良で1回目は行けなくて、
結局飛行機で行くことにしたんだけどね。
そう思ったのに、
気づいたら体験ダイビングも行かないままときが過ぎて...
こないだの8月8日の日。
当初は会う予定じゃなかった人に会うことになって、ダイビングの話になった。
その方は石垣島でダイビングショップを経営していて、話の流れでダイビングやってみない?ってなったのでした。
海が大好きなのに
海がこわい。水がこわい。
大好きなのに、こわい。
とか相反するものを感じるものってあんまりないし、恐怖心がいまだにリアルにこんなにあるものってちょっと珍しいのだけど。
ミルミルのハンバーガーおいしいって聞いたので、食べてみた!
おいしかった~
意図していなかったけど、
不思議な巡り合わせでまたわたしの前にやってきた。
水中恐怖症。
見かけは、こんな感じだけど、
水の中がこわい。
ただそれだけじゃなくて、
わたしの中で感じているのは、
死に対する恐怖。
自分の持っている潜在的なものをみる、
拓いていく恐怖。
そんな感じのものも複合的に組み合わさっているんじゃないかなってこと。
他の人からしたら、
なんでもないことだけど、
わたしにとっては、
今回の人生で乗り越えたいことの1つ。
それぐらいのことなのかもしれない。
って思った。
長い長い時間をかけて、
何度も人や場所、タイミングを変えて。
わたしの意識の及ばないところで入念に準備、調整させられて、
ここまでやってきたのかもしれないなって。
そんなことを思うと、
時間ってとても味わい深いものだなって感じる。