朝起きて、窓から入ってくる太陽の光を浴びている時、
朝日が入ってくるテーブルの上でコーヒーを飲んでいる時、
運転している時、
ペットの犬を抱っこしている時、
こたつで本を読んでいる時、
外で鳴いている鳥の声、さえずりをきいている時、
こういう1つ1つの瞬間どれもが、
幸せを感じる。
どこにいても、
何をしていても、
「今にある」
それは、ハーモニーであり、
最高のエクスタシーだと感じた。
本当は、
やることなんて、何もなく、
ただ今に存在している。
これだけでよかったんだ。と。
これを感じてさえいれば、
どんな瞬間も、
どんな空間も、
至福に包まれる。
そして、この至福が、
私を支えてくれる。包んでくれる。
すべての起点になってくれる。
常に、「今」を重ねることで、
そのハーモニー、音を響かせている。
どんな音を響かせるかは、
それぞれの自由。
だけど、
その音は、ハーモニーは、
どんなに小さいと思っていても、
実は大きく波のように共鳴する。
外側の世界は有限だけど、
内側の世界は無限。
それは、まるで果てしなく広がる宇宙のよう。
私にとって、
性的なエクスタシーを感じるということよりも、
こっちのエクスタシーを思い出す。
これが大切だったのかもしれない。
こっちのエクスタシーは、
私にとっては、より本質的で、
いつもいつもあるものだったから。
なんかずっと前から知っているような、
心の底から安心して、
満たされるような感覚。
今まではそれに気づいていなかった。
思い出していなかった。
こういう感覚を、
言葉にするのはやっぱり難しく、限界がある。
言葉というものを遥かに越えているから。
それでも、
この喜びを自分なりに言葉にしてみて、
発信する、表現するということも1つの方法だけど、
自分自身が感じる心地よさ、喜び、幸せを
日々体現して生きる。
これ自体が光になっていくんだろうな、
と感じた。
何をしているか?
よりも、
どう在るか?存在しているか?
これからは、
よりそんなことが大切になってくる時代なのかもしれない。