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 さて、今回は2001年3月号に掲載されたバンダイトヨペットクラウンデラックスのブリキを、更によい完成した物にしたので、UPしました。この号では「国産高級車が高級だった頃」がメインテーマでした。然し何とも妙チクリンなテーマですが、これは面白いテーマです。やはり国産高級車はマダマダ劣る物で到底世界に通用する代物ではなく、同じ年代の同じクラスの欧米の自動車と比べると天と地の差があります。ですから国産自動車保護の観点からこの時代自動車の輸入には大きな制限があり、昭和36年までは「生産国で2年以上経過した車両」と中古だけに限られ、それ以降は新車も条件付きで輸入が出来ましたが入札制で、物凄い競争率でした。(吉田茂元首相も36年にベンツを購入しようとしたが、元首相が入札参加するわけにもいかず、躊躇う様な入札金額なので、現実的な入手が出来る38年迄待つ事になった程でした)それとこの時代の国産高級車は上級グレードとなると余り褒められた人種ではない人が購入した事例が多く見受けられ、地方では医者が購入となるとコロナやブルーバードが殆どで、このクラスは珍しかったです。なので、ホンマモンの金持ちは外車を、素封家はコロナ、ブルーバードと明確な住み分けがありました。マトモな人種ならば国産高級車は余り手を出さない方が無難だったかな?=バンチャ(曾お婆ちゃん)が私の愛車が来る事を物凄く毛嫌いました。

 これが見開きトップページに私の車が掲載されました。(表紙には右下のプリンスグロリアS40D-1が選ばれました。)

 表紙がコレ。やはりS4系グロリアが表紙になるでしょうね。これのアンテナなしを私は平成元年~2年にかけて所有していました。然し当時母屋の改築に伴い旧自宅に置いていたそれをお婆ちゃんに捨てられ、行方不明となるが、30年近く前横浜で再会しており、もしかすると今も箱と共に生きているかも?

夥しい数の箱。真ん中に私の箱が出ました。掲載車と判断した部分は

コレが実物で、この部分の損耗が

雑誌の写真も同じ部分が損耗しており、入手直後当時の持ち主シューストックに尋ねるとその通りでした。

全くその事実を知らずに、タマタマ箱付きで出ていたので、下取り出せる物があり我慢できずに購入したのです。それが2012年の事でした。クスミはあるが全体的に程度が良く手放したくないのです。なので・・・・

2月のあなたはスペシャルランクでした! バンダイトヨペットクラウンDXワインについて | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

密かに欲しい物ではありましたが、この様な由緒ある個体だから手放したくなく、ポルシェさんの様な然るべき人が持つべきだと考え、第一回日本GPステッカー付の落札を託したのです。

 2001年に掲載当時のRS41。この状態は現在も維持されています。🐇とピンク怪獣の目に晒せば危険極まりなく、こんな極上個体も見つかれば奴らに破壊されかねません(爆)2匹とも手先が器用ですからねぇ~‥‥集団収集ゴミに分別して出すでしょう。

 現在の姿です。上の雑誌掲載当時の画像とどう違うか?お気付き?

 そ~です、これを取り付けました。これが無くてはデッドストックではない!

 バンダイベビーです。

こうでなければ、この個体は活きません。デッドストックの証拠として、

 後で紹介しますが、紅/白もデッドストックで、箱の底に白い薄紙が敷かれていました。他のヤフオクの箱付きデッド品にもありました。更にバンダイベビーのタグも見た物には付いていました。

恐らく元はココに値札が貼られていたと思います。然し無残に剝がされていました。なのでコレが残っていれば尚の事良かった。

全体像はこう。もしココが残っていれば都内価格なのか?地方価格なのか?判ります。なので、何処で眠っていたか?が判る筈。もしかすると値札を剥がした辺りにタグを捨てたのかな?判りませんが。私の予想では恐らく都内に眠っていたと推理しています。

これはポルシェさんの記事から拝借ですが、24万円超となった個体。この紙があった様な記憶がありますが、より確実な証拠がこのタグ。なのでどうしても欲しかった。

流石に私の個体が24万円は難しいが、由緒ある雑誌に掲載だから出所もはっきりしているので、購入時よりはタグ付きにしたので高額になって然るべきと考えています。最低価格15万円~でなければ生前は絶対売らない!(私の死後なら安くても良いだろう)

 先程紹介した薄紙付きの箱に入っているのが左の紅/白。ヤフオクで入手しましたが、初めは単なる箱付き個体だと思っており、落札価格は当時設定されていた最低落札価格に4000円でお釣りがくる価格でした。

 箱もオマケ程度にしか画像がなく、届いてたまげたのが、極上箱(これより良い物は私はない)、デッドストックのアイテム付きでした。恐らくこれを強調したら20万円に近い価格でしょう。

 左が紅/白のRS41から出た物、右はバンダイ製には関係が無いので既にポルシェさんに譲りました。

 但し左は紅/白のRS41に付いた物の可能性が低いそうですが、(タグの方がブリキ本体より新しい可能性があるそうです。)あえてこのままとしています。

 それと今回漸くハッキリさせられますが、内装部分に色違いがありました。

 同時にデッドストックはこうじゃなくちゃねぇ~っ。

 先に出した紅/白もそうですが、ダッシュの色が黄色ですよね。タグが付いていたパーツカーはダッシュがワインと同じピンクでした。他の黒、黒/白、鶯もワインと同じピンクダッシュボードです。

 掲載車は1964年(昭和39年)頃製造と判っておりますが、もしかしたら黄色はその後の生産の様に思われます。昭和39年の終わり~40年に発売された物かな?(はっきりしませんがポルシェさんからの画像のヤフオク個体も黄色ダッシュボードに見えました)

 今回の主役バンダイベビー。完全デッドストックのベージュと比べて紐がお疲れですが・・・・・・

箱を比べるとワインが入っていた箱は日焼けしており、まぁ紐がお疲れでも自然な姿でしょう。

 これはベージュの物ですが、時間割付き栞があり、これは私の物含めて3度しかヤフオクでは見た事がない。24万円の鶯、私のワインと紅/白にも栞が付いていたかは確認のしようがないです。

改めて惚れ直しているインペリアルマルーンメタリツクの個体です。

少なからずシューストックでも10年は持っていました。私は11年持ちましたが、手放す気は全然なし。

 それとコレクションの中でもこのCROWNDELUXEが状態が一番良い。

雑誌を購入当時も少し感じましたが、実際手にしてから凄く感じた事が次の曲ですが、1980年私が小学校に入学した直後のMONOマガジンにあったそうですが、「1960年代を知らずに80年に入れるか!」のタイトルがあり、60年代の懐かしい商品を紹介するコーナーがあり、ブリキの玩具も結構紹介されたそうです。

 

その影響かな?何故だか判りませんがこの個体を眺めると自然と思い浮かぶ曲です。

 愛のゆくえ、幸田薫。79年10月放送された西部警察の挿入歌です。

 70年代も終わりに差し掛かり、前半の勢い余った時代と後半の秋から冬の様な時代がこの曲が総括している様に感じ、バンダイのワインも恐らく60年代半ば以降は昭和元禄を薄々感じながら70年代は眠りに就き、先ほど触れた都内の玩具店の倉庫でうたた寝をしていたのか?と感じ、そんな中70年年代半ば~80年にかけて発掘され以後マニア間を転々としたのかな?他のブリキには感じない哀愁があります。

 

 これをもし読んだ🐇とピンクへ。「貴重だから破壊するなよ!俺が死んだら、葬式の後お前らがブリキとミニカー全部売って、良いホテルで旨いモン喰って呑んでドンチャン騒ぎしてくれ!俺の供養になる。」親父より。

 

それと79年10月頃は一時期世田谷の成城で生活していたと思います。叔母が訪れあの時今の叔父がいる宮内庁へ出向き濟寧館道場へ行った筈。それがあの蛮行に走りました。あの当時でも私は旧車好きで素地が完成しており、幼児としては相当筋の良いマニアだった筈。(もし当時の自分と同じ幼児がいたら、RS41の後継者として育てたいレベル。私以上化ける筈です。)ピンクについては🐇がマニア化しない様に注意して育てたそうです。無論お袋も、RS41には近づけない様に気を付けていたみたい。

ピンク!お前あの時破壊しようとしてたんだろ~!ニコッ!としているのが危険。

8月のあなたはスペシャルランクでした!&セダンコンプリート | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

詳細はこの記事。私のコレクションを並べた時破壊を考えるシグナルです。

 

 

                オマケ

 今回は私が涙目テールRS41に最も似合う色として推薦出来るインペリアルマルーンメタリツクなので、オモチャとして採用された個体を紹介します。

 尚このインペリアルマルーンメタリツク発売当初はオプショナルカラー設定で、昭和38年3月の保証販売(1年又は2万キロまで)のタイプから一般選択カラーになりました。但しこの色を注文する人は都心の場合ホステス業で成功した女性が乗る事例が多かったと聞いております。事実私の後妻伯母もこの色の64年式に乗っておりました。(元売れっ子ホステスでしたので)

 

   

  36年程前の話です。

 一応は配達専門の書店として我が市で唯一生き残っている個人経営書店がります。(店舗は完全に閉店)まだ店舗経営していた当時、これが書店の片隅にありました。喜び勇んで手にしましたが、中を見てガッカリ…盗まれたのか不明ですが2割程度部品が無くなった代物でした。(この書店万引き被害が多かった)今なら箱絵に投資しますが、当時は箱を残す考えはなく、目に焼き付けました。で、コレ5月のヤフオクに完品が出品され、目ん玉が飛び出す価格(20万円)でした。

 元々は貸本屋スタートで、その後は書籍販売も始め、その傍らプラモデルもこの時代扱っていました。又この本屋で大量の昭和30年年代の自動車雑誌も発見されています。

 その時この箱を見て我が家のRS41に再度惚れ直し、この色が似合う!でした。その2年後にはこの色があると判り、復活させたい乗りたい!と夢を膨らませていたが、書類なしが発覚したのが平成7年、「どうせ復活不能なら、憧れのインペリアルマルーンメタリックを探して乗ろう!」でした。同時に昭和37年式(当時あると思っていた)の黒がその次の候補でした。

  ナ、ナント!丸テールだと思っていたら涙目‥‥当時のあるあるです。

 今回初めて知りました。かなり細かな作りで、トランククーラーが付きます。クーラーの特徴は間違いなく63年式用。64年式は一応別の形になります(64年式でも63年式用は取り付けされていても全然不自然ではなく、当時は度々でした。)

鍍金部品本格的です。

黎明期のプラスチックモデル。20万円も納得ですが、恐らく更に金をつぎ込めばマダマダ上がりそう。

 

                  オマケその2

8月に出たヤフオクの個体。

 ドアの内張を見ると黄色に見えます。ボデープレス皺の特性から

ベージュの個体と製造年が近い感じ。なので昭和39年の終わりか40年頃の製造品か?

 タイヤが綺麗なのでもしかしたら、元は大人のコレクションで、オーナーが死去するなどしてから、何処かに放り投げられた物が命拾いしたのか?

 

                オマケその3

 腐っても大盛屋を実感しました。初め「おっ!箱付きじゃね~べが!赤エンジンだべが?」と画像を見ると・・・・・この時点では、多少赤字でも赤エンジンなら頑張ろう!でした。

然し違和感が。良~く見れば、ボンネットフードの付け根部分が歪んでいる。これはおかしい。追加画像を見て…‥画像取り込みは出来なかったが、出品者が手袋を掛けてボンネットオープンをする画像があり、「ヤバイだろ~なぁ~。」でしたが、それが的中。質問すると「ボンネットフードは手で押さえていないと、すぐ落ちます。」でした。それ以外でも…‥

中々良い状態の箱だずねぇ~でこれも入札欲がでましたが・・・・・

 ここの破損は片栗粉糊で補修と考えていましたが、下の箱が無い事が判明。単にウォッチで終わりにする事としました。表面は状態が悪くない。で、最終落札価格は30.001円。驚く価格でした。尚この相場価格はポルシェさんによると、「上箱だけでも付いているということで、まあ妥当な金額でしょうか。」

 

マジっすか?が率直な私の感想です。

 

 

▼11月のあなたはスペシャルランクでした