ざぼん的人生の歩きかた -37ページ目

ざぼん的人生の歩きかた

    午前に『生きていくために、身に付けていた方が良い、 
    考え方や、スキルについて』
   午後に『 自分自身を高めるための・こころ 』 
   の内容にしたいと思っています。
一部不定期に、読者の依頼により内容を変更する場合もございます。

前回は「 やりがい、働きがい、生きがい 」でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

時間は未来から過去に流れています。

「そんなことない。

 時間は過去から未来に流れているんだ。

 バカなことを言うな!」と
 
 おっしゃられる方もいるかもしれませんが、

時間は未来から過去に流れているのです。

未来志向 より

原因と結果という言葉を考えてみましょう。

大体の場合、原因が過去で、

結果が未来と思いませんか?

それが通常私達が認識している

時間の流れ方ですよね。

だけど、例えば、あなたが

付き合ってる人がいたとします。

大好きな大好きな人です。

そんな人から突然の別れの宣告が・・・

あなたは食事ものどを通らず

仕事にも身が入らない。

何もする気が起きない。

そんなうつろな日が続きます。
……

しばらく経つと、あなたの前に素敵な人が

現れます。

そこであなたは恋に落ち、結婚へと。

そこでふとあなたはこう思います

あの時ふられてよかった!」と。

どうですか。

過去がいい思い出に変わったでしょう!

最高にいい思い出じゃないですか?

あの日あの時あの場所でふられてなければ、

今の幸せはなかったのです!

付き合ってた ままだと

きっと出会えてなかったでしょう。

過去のふられたという出来事は

変えようがないですが、

過去の『評価』は現在の結果で

いくらでも変えられること

判っていただけましたか。

この「原因」と「結果」を

逆にして考えてみてください。

お釈迦様は「過去」と「未来」は

変えられないと仰いましたが、

確かに事実としての過去は変えられない。

ふられた事は なかったことにはできない。

だけど、あの出来事が

どういう意味を帯びているのか、

あれがどういう私にとっての

価値が合ったのかというのはいくらでも

未来で変えることができるのです。

そういうことをしっかり信念にして欲しいのです。

こういう意味合いで時間が

未来から過去に流れているよ。

原因と結果は逆さまなのです。

だから一度しかない人生を生きている間の、

いろんな出来事、いろんな時間の使い方、

いろんな時間の感じ方、

世界とのつながり方が、

だから私は生まれてきたんだ。

だから私はこの世にいるんだと

理解するための作業だったりするわけです。

これまでの、そしてこれからの人生は、

未来が「原因」で

生まれた瞬間は「結果」じゃないですか?

何を実現してきたかによって、

過去の出来事全部変わります。

推敲2回で完成。

最後まで読んでいただきまして ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
ペタしてね
前回は「 未熟と完熟 」でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は「やりがい・働きがい・生きがい

について 少しだけ。

仕事力とは、ひとり、ひとりが

仕事を通じて、働きがいを持って自分らしく、

仕事そのものが持っている

目的を果たして行く<力>です。

〇人間力とは、ひとり、ひとりが自分らしく、

生きがいを持って、自分に適した、

自分の目的を果たしていく<力>です。

〇社会力とは、ひとり、ひとりが自分らしく、

人間力を発揮しながら、やりがいを持って、

社会を生き抜いていく<力>です。

働きがいは、仕事(労働)に対する価値観、

達成感を通じて自分の成長と存在が

認知されていることが感じられる<状態>です。

やりがいは、やる気が継続され、

充実を感じられる<状態>です。

生きがいは、生きていく力の源泉となる安心感、

よろこび、支えとなる<状態>であって、

決して人生の目的ではないもの。

働きがい、やりがい、生きがいに

完成はなく終わりはありません。

それらは状態であって、

<力>を発揮する<手段>にすぎませんが、

なければエネルギーの発揮が困難に陥ります。

つまり<力>がエンジン、

エンジンを動かす<手段>はガソリンのようなもの。

ガソリンには良いガソリンもあれば、

粗悪なガソリンもあります。

人生の目的とは、<完成>があるものですが、

同時にガソリンの品質を定めるものです。


今の職場で生きがいを感じているというのなら、

どこで働いても働き者なんだよ。

仕事に生きがいを感じる人は、

どこで働いても感じるから。

感じない人は、

どこに行っても不平不満を言っているの。

<斎藤一人>

私も本当にそう思います。

今の職場だから、今の職業だから、ではなく、

仕事にやりがいを感じる自分自身であれば、

どこへ行っても、何をやっても

生きがい・やりがいを感じれると思います。

あなたは 「がい」を感じてますか。

推敲2回で完成。

最後まで読んでいただきまして ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
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前回は「 上手に失敗せよ 」でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は懐かしい草稿が見つかったんで、

これを。

 「トマトと人間」です。
 
 「自分の人生」について皆さんに
 
 少し考えていただきたいからです。
 
 種から育ったトマトの苗は、
 
 さらに成長し、次の世代を残すために、
 
 やがて実を結びます。
 
 植物の名前ではなくてこの実のことを、
 
 私たちは普通トマトと言っているのですが、
 
 この実はもちろん最初から
 
 熟しているわけではありません。
 
 トマトの実は最初は小さくて
 
 白っぽい緑色です。
 
 大きくなるにつれてだんだん濃い緑色になり、
 
 やがて赤くなります。
 
 私たちはある程度トマトが熟した段階で
 
 食べてしまうのですが、
 
 そのままにしておくとトマトは完全に熟します。
 
 要するに、トマトは未熟という段階から、
 
 完全に熟する段階、完熟という段階に
 
 到達することによってその成長が完成するのです。
 
 人間をこのトマトと比較してみましょう。
 
 ドイツのある学者は、
 
 人間は未熟なまま
 
 死んでいくのだと言っていますが、
 
 私はそのとおりだと思っています。
 
 人間は、どれほど人間的に成長しても、
 
 完全に熟するトマトのように
 
 完成することが決してありません。
 
 「人間は永遠に未完成である」という意味では、
 
 私も、皆さんのお父さんやお母さんも、
 
 市長さんも、文部大臣や総理大臣も、
 
 皆、未熟者なのです。
 
 未熟でしかありえない人間が、
 
 完成した人間であるかのように
 
 振る舞うことは傲慢でしかありません。
 
 人間は永遠に未熟でしかありえないのですから、
 
 自分の未熟さを謙虚に受け止めることが、
 
 私は、生きていく上で
 
 非常に大事なことだと思っています。
 
 ところで、人間は永遠に未熟でしか
 
 ありえないのだったら
 
 努力するのは無駄ではないかと
 
 考える人がいるかもしれませんが、
 
 それは違います。
 
 人間としては
 
 決して完成することがないとしても、
 
 人間は、少しでも熟するように
 
 努力し続ける必要があると思います。
 
 トマトは熟することによって
 
 味が出てきますが、
 
 実は、トマトはトマトなりの仕方で
 
 努力しています。
 
 トマトは、発芽し、苗が成長し、
 
 実が熟していく間、ずっと太陽の光を浴び、
 
 地中から栄養をとり続けています。
 
 それと同じように、人間も、
 
 学校や社会での「学習」だけでなく、
 
 スポーツや音楽や遊びや仕事や
 
 ケンカや口論といった、
 
 さまざまな「学び」をとおして
 
 栄養をとり続ける努力を
 
 しなければなりません。
 
 そのようにして、
 
 人間として少しでも熟するように
 
 努力を重ね続ける人には、
 
 きっとその人なりの味が出てきます。
 
 自分の未熟さを常に謙虚に
 
 受け止めるという姿勢を身につけ、
 
 さまざまな「学び」をとおして少しずつ熟し、
 
 自分なりの「いい味」を
 
 出していってほしいと思います。
 
 どのような人生であっても、
 
 間違いなく、
 
 一人ひとりが自分の人生の主人公です。
 
 皆さんが、それぞれの人生で、
 
 将来「いい味」を出してくれることを
 
 心から期待しています。

推敲2回で完成。

最後まで読んでいただきまして ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
ペタしてね