ざぼん的人生の歩きかた -33ページ目

ざぼん的人生の歩きかた

    午前に『生きていくために、身に付けていた方が良い、 
    考え方や、スキルについて』
   午後に『 自分自身を高めるための・こころ 』 
   の内容にしたいと思っています。
一部不定期に、読者の依頼により内容を変更する場合もございます。

前回は「 正しい努力の方法 」でした。

いつもおいで下さいまして、

ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は「今を生きる」です。

今日はいつもと違って(仏教教義 から)

〇無常の気づき
 
 どうすれば無常を理解することが
 
 できるのでしょうか?
 
 具体的な実践方法としては、
 
 今やっている行為に「気づく」ことです。
 
 手を上げているとき、今手を上げている、
 
 歩いているとき、今歩いている、
 
 立っているとき、今立っている、
 
 水を飲んでいるとき、今飲んでいる、
 
 と今の瞬間の行為に気づくことです。
 
 この気づきを瞬間瞬間つづけていくうちに、
 
 やがて無常を発見することができるのです。
 
 どういうことかといいますと、
 
 たとえば何か嫌なことがあって
 
 怒ったとしましょう。
 
 そのとき「今怒っている」と気づくと、
 
 怒りがスーッと消えるのです。
 
 嫉妬しているとき「今嫉妬している」
 
 と気づくと、嫉妬が消えるのです。
 
 妄想しているとき「今妄想している」
 
 と気づくと、妄想が消えるのです。
 
 これが無常ということなのです。

 しかし私たちはなかなか
 
 「」の瞬間に気づくことができません。
 
 ほとんどの時間を、過去や未来のことを
 
 妄想して生きているのです。
 
 生きているのは今だけですから、
 
 今をしっかり生きなければならないのに、
 
 今の瞬間を忘れて過去や未来のことばかり
 
 考えているのです。
 
 たとえば会社で仕事をしているとしましょう。
 
 体は会社にあっても、心のほうは
 
 妄想の世界で遊んでいるのです。
 
 仕事が終わったらどこの飲み屋に行こうかとか、
 
 週末は何をしようかなどと
 
 別のことを考えているのです。
 
 それでどうなるかといいますと、
 
 今やるべき仕事が疎かになって失敗するのです。
 
 あるいは、学校やどこかで
 
 勉強しているときもそうです。
 
 一見まじめに講義を聞いているように見えますが、
 
 本当はほとんど聞いていないのです。
 
 心は過去や未来のことに飛び回っていますから、
 
 一時間講義を聞いていても、
 
 せいぜい一、二割ぐらいしか
 
 頭に入っていないのです。

〇今の瞬間の完成
 
夢や希望をもって明るく生きることが大切だ

と考えている人も多いでしょう。

自分の会社を設立したいとか、

もっと収入のいい職に就きたいとか、

有名になりたいなど、

いろいろ理想を描いて夢や希望で

心がいっぱいになっている人は、

決して幸福になれません。

心が未来に引っ張られて、

現実離れの状態になっているのです。

それに、夢や希望を実現させるためには

並々ならぬ努力をしなければなりません。

お金が欲しいという人は、

今より何倍もの仕事量を

こなさなければなりませんから、

家族と過ごす時間も少なくなりますし、

ゆっくりくつろぐ時間もなくなるでしょう。

それでへとへとに疲れて苦しむのです。

一流大学に入ることを目指している学生さんは、

やりたいことを我慢して、

毎日毎日猛勉強しなければなりません。

それで希望の大学に受かればいいのですが、

落ちた場合には大変な失望感と

挫折感を味わうのです。

このように夢や希望を持っているがために、

私たちはたくさんの苦しみを味わっているのです。

 そこで仏教は
 
 「今の瞬間をしっかり生きなさい
 
 と教えています。
 
 受験生なら、
 
 先の試験のことを心配するのではなく、
 
 今やるべき勉強をしっかりやればいいのです。
 
 それで勉強しているときに
 
 心が過去や未来のことを妄想し始めたら、
 
 すぐに「今妄想している」と気づいてください。
 
 そしてまた勉強に戻ればいいのです。
 
 大事なのは、何をしているときでも、
 
 今起きている現象に気づくことです。
 
 疲れたら「疲れている」、
 
 嫌になった「嫌になっている」、
 
 妄想が現れたら「妄想している」
 
 と気づいてください。
 
 それだけでいいのです。
 
 試験に合格してやろうとか、
 
 妄想を全部無くしてやろうと
 
 気負う必要はありません。
 
 今この一瞬のことだけに気づけば、
 
 それで充分なのです。
 
 どんな人でも「今の瞬間」だけなら
 
 簡単に気づくことができるでしょう。
 
 このことをよく覚えておいてください。
 
 あとはその気づきを持続させればよいのです。
 
 そして瞬間瞬間の現象に気づくことによって、
 
 心は穏やかになり、
 
 充実して生きることができるのです。

推敲2回で完成。

最後まで読んでいただきまして、

ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
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前回は「 言葉の姿 」でした。

いつもおいで下さいまして、

ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は「正しい努力の方法」です。

目標に向かって努力することの大切さは

ほとんどの人がわかっているはずですね。

 だからこそ、一年の始まりや、
 
 何かの節目ごとに目標を掲げたり、
 
 夢を語ったりして意気込むわけですが、
 
 いざ走り始めてみるとそこには
 
 様々な誘惑や障害が待ち受けていますよね。
 
 『天才とは努力を続けられる人のことであり、
 
 それには方法論がある』(扶桑社/刊)の著者で、
 
 弁護士・タレントとして活躍中の
 
 山口真由さんは、東京大学を首席で卒業。
 
 在学中に司法試験、国家公務員I種に合格するという
 
 驚異的な頭脳の持ち主です。
 
 こういったずば抜けて優秀な人に対して、
 
 私たちは「天才」「もともとの頭のデキが違う」
 
 と思ってしまいがちですが、
 
 ご本人によればそうではなく、
 
 山口さんは最高で1日19時間もの勉強を
 
 自分に課した「努力の人」だと言います。
 
 彼女の目標に向かって努力を続けた
 
 一部分を紹介したいと思います。
 
 (ビジネス ジャーナルより

■努力はまわりに見せる

 失敗した時のはずかしさが嫌なのか、
 
 人に見せないように
 
 こっそり努力する人がいますが、
 
 山口さんいわく
 
 「努力はまわりに見せる」方がいいとのこと。

 日本社会は比較的、結果だけでなく
 
 努力そのものも評価してくれるという特徴があります。
 
 努力しているところを見た人から
 
 「がんばってるね」「よくがんばったね」
 
 などねぎらいや励ましを受けやすいのです。

 これに対して「陰の努力」は
 
 誰からのねぎらいもありません。
 
 自分のやっている努力に対して
 
 誰からも評価されないため、
 
 挫折しやすくなってしまうのです。

■「自分との戦い」に持っていかない

 私たちは、努力を続けることについて
 
 「自分の意思の強さ次第で、
 
 結局は『自分との戦い』なのだ」と考えがちです。

 しかし、これは実はもっともやってはいけないこと。

 努力を「自分との戦い」と位置づけてしまうと、
 
 よほどストイックで意思の強い人でない限り
 
 長続きしないのです。

 それよりも、
 
 自分と似たようなことに取り組む人を
 
 ライバルに見立ててみましょう。

 「あの人よりがんばろう」
 
 「まわりの人よりがんばろう」と、
 
 戦う相手を他に設定するほうが
 
 努力は長続きするのです。

■二兎を追わない

 「二兎を追う者は一兎をも得ず
 
 ということわざがありますが、
 
 努力についても同じことが言えるようです。

 目標が大きければ大きいほど、
 
 必要とされる努力の量も増えます。
 
 そうなるとストレスを感じやすくなるため、
 
 目標を達成するための努力以外の点は、
 
 自分を甘やかしてあげることが大切です。

 「資格試験に合格して、ダイエットもする」
 
 など、目標を複数持ってしまうと、
 
 結局は失敗しやすくなってしまいます。

 努力を続けるのに必要なのは
 
 「意思の強さ」でも「根気」でもなく、
 
 正しい方法論なのです。

少しだけでもいいね! と思われたら

今日から実行してみることをお薦めします。

推敲2回で完成。

最後まで読んでいただきまして、

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(和尚 敬白)
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前回は「 素直でいること 」でした。

いつもおいで下さいまして、

ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は「まことの言葉を」です。

(青山俊董老尼 の言葉より)

〇言葉に姿がある

われわれは、服装や持ち物や化粧の

おしゃれは考えても、

言葉のおしゃれということは殆ど忘れている。

しかし、美しく着飾った淑女が汚い言葉を使ったら、

一度にその衣装までも色あせて見える。

古谷綱武氏は『言葉への愛をもちたい』と言われ、

また、『自分の使っている言葉の姿を、

 いつも自分で見ている人にならなければならない
 
 ともおつしゃっている。
 
 言葉に姿があるという。 

言葉は言霊(ことだま)とも言う。

顔の表情のように語る人の人柄を表すから恐ろしい。

といって美辞麗句は偽り多くて、醜くさえある。

美しい言葉とは、正確で、

あたたかい思いやりの心のあふれた言葉、

美しい命からほとばしり出た、

いきいきした言葉である。 

〇声へのつつしみ

新聞のコラムに、

声に人柄が現れる」ということが書かれていて、

ハッとさせられたことを覚えている。

筆者が誰であったかも覚えていない。

たまたまお茶の稽古場でこの話をすると、

真っ先に応じてきたのが、

電話の交換手をしている娘さんであったことも興味深い。

『先生、そうなんですよ。

私たちは声だけで仕事をしているんですが、

その声を聞いてなんとなくあたたかく

尊敬できそうな人だなと思っている人に

直接お会いしてみると、やはりよいお人柄なんですね。

反対に、声を聞いただけで

なんとなくあつかましくいやな感じをうけていた人は、

直接会ってみてもやはりそういう感じなんですね。

声を出すことがおそろしくなることがあります』 

この話を聞いて以来、

人に祝い言や見舞いの言葉をかける度に、

思わず我が声に耳をすまし、

私は今、ほんとうに相手の人が喜んでいるほどに喜び、

悲しんでいるほどに悲しんでいるのだろうか

と自問自答するようになってしまった。

そしてその度に返ってくる答えは。

他人の肺炎は自分の風邪ぐらいにしか感じていない薄情な私、

他人の成功に対しては

なんとかケチをつけたい根性の小さい私でしかない。 

〇声に人柄が現れる。

それは声の良い悪いというのとは次元が違う。

声に、声を出す人の全人格がにじみ出てくるのである。

にごりのない、かけひきのない、

あたたかく美しい声で呼びかけ、

また答えられる人間になりたい。

身の振る舞い、言葉や声のつつしみ、

それは結局のところ、

日常の心がけもさることながら

心の姿に帰結してゆくようである。 

人は好んで衣装を飾る。

 衣装が立派でも着方が下手では引き立たぬ。

 着方が良くても体つきがまづくては立派でない。

 体が出来ても行儀作法を知らねばゆかしくない。

 行儀が出来ても言葉が悪くては事こわしである。

 言語動作が整っても、

 心が清浄でなければ本当に美しい人ではない
 
明日の朝からでも、自分の発する言葉に

関心を持っては如何ですか。

推敲1回で完成。

最後まで読んでいただきまして、

ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
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