ざぼん的人生の歩きかた -28ページ目

ざぼん的人生の歩きかた

    午前に『生きていくために、身に付けていた方が良い、 
    考え方や、スキルについて』
   午後に『 自分自身を高めるための・こころ 』 
   の内容にしたいと思っています。
一部不定期に、読者の依頼により内容を変更する場合もございます。

「いじめられる側に原因は絶対にない」

という言葉。

これね、一見正しいとは思うけれど、

それに、実際、いじめる側は

誰だっていいのだけれど、それに、

いじめる方が100パー悪いのは当たり前だけど。


原因は間違いなくある。

いじめられる原因っていうのは必ずあるのだ。

家が貧乏だったとか、

容姿が宜しくなかったとか、

運動が苦手だったとか、

ちょっとした嘘をついてしまったとか、

人が見ていないと思ってズルをしていたとか。

時には、

いじめを止めに入ったからなんて、理不尽な原因とか。

なにかしらの原因があることは間違いないのだ。


だけど、

それらの原因に、いじめられる理由がない、ということ。

つまり、その原因があるからって、

いじめていい理由にはならないってこと。

それを勘違いしてはいけない。

だけど、

「うちの子は悪くない。相手がすべて悪い」

と言っている間は、何も解決しないのだ。

もちろん、

「いやいや、あなたの子にも原因はある」

なんて、口が裂けても言えないし、言わないけれど、

親が、そのことに気づかない限りは、

ただただ、相手が加害者。

自分の子供は被害者で終わってしまう。

そこには、憎しみしか生まれない。

そして、自分の子をただ、

「可哀想な子扱い」にしてしまうから、

いつまでたっても、

可哀想な子供のままになってしまうのだ。


いじめられた子供の親がしなければならないこと。

それはまず、

その子の辛さをしっかりと受け止めてやることだ。

一緒に泣いて、一緒に「辛いね、辛いね」って、

その思いを一緒に味わうこと。

だけど、これも、本当に状況を見極めて行うことが必要で。

たんなる、子供の喧嘩ごときに、

そこまで「いじめ」に敏感になるのも問題がある。

この時点で親があーだこーだとわめきたて、

「いじめられた可哀想な子」を

逆に作り上げているパターンも多くある。

だけど、子供の様子が明らかにおかしいと思ったとき。

これは、親なら必ずわかるはずだ。

子供は何も言わないかもしれない。

だけど、

絶対に普通に子供と向き合っている親ならわかるはずである。

そのときは、親は、堂々としゃしゃりでよう。

子供が何も言わないのなら、先生に聞くしかない。

これでもかというぐらい、しゃしゃりでよう。

親が出て行ったことで、

もっといじめがエスカレートすることを恐るならば、

子供を学校に行かさなければいい。

堂々と学校にも何度も足を向け、

先生と話し合い、

言いたいことをいい、

先生に、イヤミの一つも投げつけてやればいい。


しかし、その工程で気をつけなければならないことは、

絶対に感情的にならないこと。

感情的にイヤミをいえば、「モンペ扱い」されてしまいである。

しかし、あくまでも冷静にイヤミの一つも言い放つことができれば、

学校側も、真摯に対応せざるをえなくなる。

「この親、中途半端な対応では見透かされる」

そう思わすことができれば、この勝負、あったも同然である。


そして、重要ポイントはもう一つある。

それは、必ず、

相手の「いじめっ子」を気遣う様子の一つも見せること。

これは、かなりの重要ポイント。

まあ、その裏には、実際そのいじめっ子にも、

本当は心のどこかに「寂しい」などといった

心の闇があることは間違いないから、

というのが優等生的な答えだけど、

しかし、それでもあえて、

その子に気遣いを見せることで、

「この問題はただのよくある子供の喧嘩じゃねえからな、

ええ加減に対応すんなよ」

ということを、学校側に無言の圧力をかけることにも

つながっているのである。

そして、それさえあれば、

「その子に単に文句を言いに来たわけではない」という、

いじめっ子の逃げ道をしっかりと用意することにもなる。


そして、忘れてならないことがもう一つ。


「先生方も大変ですね」


この言葉があれば、あなたは100点満点のいじめられっ子の親である。

つうか、先生方も実際大変なのだ。


たぶん。

その中で、しっかりと、

冷静に「我が子がなぜいじめられてのか」ということを理解しよう。

そして、

その、いじめられていた本当の原因を子供に言い聞かせ、

それが、家庭環境など親のせいだとしたら、しっかりと謝り、

「あ~いじめられる側でよかった」

「あなたが、もし友達をいじめていたら、

お母さんはもっと悲しかった」

その言葉を我が子に伝えるだけで、

そのいじめられていた子供が、ただの可哀想な子から、

自分に自信を持つようになる。


だけど、これは、

一緒に辛さを味わった後でなければ

子供にとっては逆効果になる。

「お母さんは何もわかってない」

そう言われて終いだ。

なので、絶対に、子供の辛さを十分に味わった後で

なければその言葉は無意味になる。

一緒に泣いて、泣いて、それでも、

「いじめられる側だったあなたは、

それだけでも価値がある」という思いが伝わるのだ。



そして、なによりも、しっかり子供に伝えなければならないことは、


「それでも、人を傷つけていい理由なんてない」


ということ。


いじめられっ子は、時として、あとで、

「いじめっ子」に変わることがある。

それは、そのことをしっかりと教えられていないからだ。

「可哀想ね、可哀想ね」と問題を片付けられた子供は、

「じゃあ、可哀想な子にはなりたくない」

という発想の転換をしてしまうのだ。



「人を傷付けることのほうが、

本当は可哀想な子」なのだということを

しっかりと伝えなければならない。

本当にそうだからね。

これは、本当にそう。


同じいじめを経験した親ならわかるだろうか。

いじめられる側だったからこそ、

親は、子供のその辛さに寄り添うことができたのだ。

代わってあげることはできないけれど、

一緒に、その辛さと戦ってあげられたのだ。


これが逆だったら、本当に辛い。

我が子が、人を傷つけて喜んでいたとしたら、

それほど、辛いことはないだろう。

前回は「 幸福と幸福感 」でした。

いつもおいで下さいまして、

ありがとうございます。

んにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は 「あなたの好感度Check 」を。

【チェックポイント 30】

幾つの項目を実践しているのか

最後までチェックしてみて下さい。

 好かれる人になる30の方法

チェック1 □ 学力より、人間力をつける。

チェック2 □ 人から好かれるために、
        愛を与えられる方法を考える。

チェック3 □ 愛されていると感じてもらう。

チェック4 □ すごい人になるのは、やめる。

チェック5 □ すごくなくてもいいことに、気づく。

チェック6 □ 楽しみ、喜びだけでいいことに、気づく。

チェック7 □ 与えてもなくならないものを与える。

チェック8 □ 感謝を習慣にして、元気になる。

チェック9 □ 現実という鏡を使って、
        心の状態を確認する。

チェック10□ 誕生日に「おめでとう」と伝える。

チェック11□ 今日の出来事から、話のネタを見つける。

チェック12□ 「いつか」を「今日」に置き換えて、考える。

チェック13□ 「偶然」「たまたま」を「チャンス」に変える。

チェック14□ 心臓の努力に報いる生き方をする。

チェック15□ 受け止め方を変えて、人相をよくする。

チェック16□ 怖い顔は、笑顔になってカバーする。

チェック17□ キレない人になる。

チェック18□ 最高の人生を歩んでいる自分を想像して、
        未来から今を見る。

チェック19□ 瞑想をして、乱れた心を元通りにする。

チェック20□ すべては根っこでつながっていることに、
        気づく。

チェック21□ 清潔感のある身なりにする。

チェック22□ 正直者になる。

チェック23□ 失敗をして、話のネタを作る。

チェック24□ 人から好かれる前に、人を好きになる。

チェック25□ 褒めることを習慣にする。

チェック26□ かっこ悪いことをする。

チェック27□ 元気がないときこそ、顔を上げる。

チェック28□ 話し上手より、聞き上手になる。

チェック29□ 周りの意見に流されず、自分の意見を持つ。

チェック30□ 「頭で思う恩返し」から
        「行動で表現する恩返し」に変える。

いかがでしたか、気になる項目はありましたか。

気になる項目は今日からでも

好感度アップのために修正しませんか。

推敲2回で完成。

最後まで読んでいただきまして、

ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
ペタしてね

前回は「 お蔭さまと言えること 」でした。

いつもおいで下さいまして、

ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は 「幸福と幸福感」についてです。

幸福論 から)一部引用。

幸福について

「幸福」は人生の重要な目標であるが、

物の所有や状態に幸福を求めるべきではない。

幸福感は在る事ことが達成させた時に

感じる満足感で、

欲しかった物を手に入れた時に

一番感じるかもしれない。

しかしここに落とし穴が有る。

たとえその時は天にも昇る様な

幸福感を感じていても、

いずれその物が有るのが当たり前になり

幸福感を感じなくなる。

幸福感とは満腹感と似ている、

満たされたという想いは一時的である。

それゆえ幸福を求めて生きることは、

常時満腹を求めて生きることと

同じになってしまう。

更に幸福感を得ようとすれば、 

暴飲暴食や美食と同様になり、

肥満や病気の元となり逆に本人を苦しめる。 

それを避けようとすれば、

食べては吐くという行為を繰り替えせざるを得ない。

食糧が無い時代に満腹を

人生の目標とするのは間違いとまでは言えない。

同様に物の無い時代に幸福感を求めても

間違いとは言えない。 

満ち足りる事は無いのだから、

ずっと勘違いした幸福を追い求める事が出来る。

しかし食糧が足りてしまったのに、

更に満腹を求めればそれは害になる。

幸福も同じである。 

物が足りたのに更に物に幸福感を求めたのなら、

それは逆に本人を苦しめ不幸を産み出す元になる。

しかし、そういう人は自分と他人を比較し、

他人より裕福である事を確認し、

自分は幸福であると思い込もうとする。 

しかも、心の空虚さはやがて飢餓感となり、

自分より貧乏な人をあざ笑う事という

悪徳をもって、 自分は正しい、

幸福なんだと思い込もうとする。

物を所有する事に幸福感を求めた人は、

最終的に幸福から遠く離れ不幸になる。

無理に求めれば、 

物を手に入れては壊すという

無意味な行為に走らなければならない。

物を所有する事を

幸福や人生の目標だと思ってはいけない。

幸福感を求めるなら、

人生の過程に求めるべきである。

目標を決め、それに向かって努力し、

その過程で得られる達成感と、

それに伴う満足感を幸福感として

味わうべきではないだろうか。

そすれば無限の時間や

有り余る富があったとしても、

いつも新鮮に幸福を感じながら

生きて行ける。

幸福は無限で永遠に存在するだろう。

私はこのような幸福感を

追い続けていきたいと思っていますが、

あなたはいかがですか。

推敲2回で完成。

最後まで読んでいただきまして、

ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
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