ざぼん的人生の歩きかた -22ページ目

ざぼん的人生の歩きかた

    午前に『生きていくために、身に付けていた方が良い、 
    考え方や、スキルについて』
   午後に『 自分自身を高めるための・こころ 』 
   の内容にしたいと思っています。
一部不定期に、読者の依頼により内容を変更する場合もございます。

前回は「 受け継がれる愛 」でした。

いつもおいで下さいまして

ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は 
素晴らしい人生を送るために」 から。

素晴らしい人生を送るために
(稲森和夫)

・成功する人と、そうでない人の差は紙一重だ。
 成功しない人に熱意がないわけではない。
 違いは、粘り強さと忍耐力だ。
 失敗する人は、壁に行き当たったときに、
 体裁のいい口実を見つけて努力をやめてしまう。

・人生とは、自分自身が脚本を書き、
 主役を演じるドラマだ。
 どのようなドラマを描くかは自分次第であり、
 心や考え方を高めることによって、
 運命を変えることができる。

・人生には、近道や魔法の絨毯は存在しない。
 自分の足で一歩ずつ歩いていかなければならない。
 その一歩一歩がいつか信じられない高みにまで、
 私たちを運んでくれる。
 これが、夢の実現に至る、唯一確実な方法なのだ。

・高く自らを導いていこうとするならば、
 あえて障壁に立ち向かっていかなければならない。
 その際、一番の障壁は、
 安逸を求める自分自身の心だ。
 そのような自分自身に打ち勝つことにより、
 障壁を克服し、卓越した成果をあげることができる。

・ひとつのことに打ち込み、
 それを究めることによって、
 人生の真理を見出し、
 森羅万象を理解することができる。
 ひとつの仕事や分野を深く追求することにより、
 すべてを知ることができる。
 広くて浅い知識は、何も知らないことと同じだ。

・一日一日を懸命に生きれば、
 未来が開かれていく。
 将来を見通すということは、
 今日を努力して生きることの
 延長線上にしかない。

・長い人生の旅路では、
 失望や、困難、試練の時がなんどもある。
 しかし、それは、自分の夢の実現をめざし、
 すべての力を奮い起こして誠実に努力をする、
 またとない機会でもある。
 天は誠実な努力とひたむきな決意を、
 決して無視はしない。

・素晴らしいチャンスは、
 ごく平凡な情景の中に隠れている。
 しかし、それは
 強烈な目標意識を持った人の目にしか
 映らないものだ。

・「これだけでも十分ではないか」という、
 「足るを知る心」によって初めて、
 人間は幸せを感ずることができる。
 そうすれば、今自分が生きていること、
 そのことに対しても
 心から感謝をすることができる。

・成功に至る近道などあり得ない。
 情熱を持ち続け、
 生真面目に地道な努力を続ける。
 このいかにも愚直な方法が、
 実は成功をもたらす王道なのである。

・忙しい毎日を送っている私たちは、
 つい自分を見失いがちである。
 そうならないためにも、
 意識して反省をする習慣を
 つけなければならない。
 反省ある人生を送ることにより
 自分の欠点を直すことができ、
 人格を高めることができる。

・「素直な心」「熱意」「努力」
 といった言葉は、
 あまりにプリミティブなために、
 誰も気に留めない。
 しかし、そういう単純な原理こそが
 人生を決めていくポイントなのだ。

・人生というのは
 魂の修行の場ではないかと考えている。
 苦難は魂を純化、深化させるために
 与えられている試練であり、
 成功もその人間が
 どこまで謙虚でいられるかを
 試すものでしかない。

いかがでしたか?

今日も 味わい深い一日を過ごして下さいね。

推敲1回で完成。

最後まで読んでいただきまして 
ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
ペタしてね
前回は「 人生は一度だけ 」でした。

いつもおいで下さいまして

ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は 「受け継がれる、愛」 から。

ボクは思っていた。

命には2つの役割があると

ひとつは回復する力

魂がいかに悲しみ傷つき引き裂かれても

いつか必ず生命は甦ってくると


もうひとつは伝える力

もし生命が消えても

新しい命となって伝えられ

いつか必ず生命は甦ってくると


地上に初めて生命が誕生した日から

この2つの事を信じていたから

人は明日を生きられたのだと

ボクは思っていた

今日も 味わい深い一日を過ごして下さいね。

推敲1回で完成。

最後まで読んでいただきまして 
ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
ペタしてね
前回は「 徳を積む生き方 」でした。

いつもおいで下さいまして
ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は 「人生は一度だけ」 から。

 「幸せになるって、どういうことなの?
 誰のものでもない、誰にもわからない、
 私は私の幸福をちゃんと持っていること。

 幸せになりたい。
 誰だって思っていることです。
 私だってもちろん思ってます。
 なりたい、なりたい、なりたい、
 絶対になりたい。
 けれども、じゃあ「その幸せって何なの?」
 と考え始めると、迷路の中に入り込んでしまいます。
 それで、何人かの女性に聞いてみました。
 まとめると、こんな感じになるでしょうか。

「愛する人と結婚して、子供を産んで、
 かけがえのない家族を作り、
 老後も心配ないくらいのお金があって、
 やりがいのある仕事を持ち、
 何でも話せる友人がいて、健康である」

 すごい、の一言に尽きます。これぞまさに幸福の鑑。
 手に入れられるものなら、私もそのすべてが欲しい。

 けれど、そんな私も少しずつ年を取りました。
 少しは経験も積んだし、
 さまざまな人も見てきました。
 そして今、思うのです。
 それらがすべて揃うなんてことが本当にあるのだろうか。
 一見、というのはあります。結構あるかもしれない。
 あんなふうに生きられたらどんなに幸せだろう、
 と、羨ましく思う人が私の周りにもたくさんいます。

 けれど時間がたつにつれ、
 そこに他人にはわからない、
 知られたくない葛藤がどれほど隠されているか、
 垣間見えるようになってくるのです。

 あの人と結婚できなかったら死ぬ
 と言っていたカップルは、見事離婚してしまいました。
 離婚とまでいかなくても、
 愚痴不満を聞かされているケースはいっぱいあります。
 可愛い子供は、大きくなって難しい時期に入り、
 親としての責任がずっしり肩にのしかかっています。
 信頼していたはずの友人が
 保証人のハンコを押してくれと頼み込んできたとか、
 頑張ってそれなりの成果をあげてきた仕事なのに、
 会社の方針が変わったという一言で
 切られてしまったとか。
 お金はあるけれど、それにまつわる
 兄弟親戚とのトラブルが絶えない。
 健康には自信があったのに、
 最近どうも具合が悪くて不安。

 それらのことが、いっぺんにでないにしても、
 入れ替わり立ち替わりやって来て、
 幸福の邪魔をするのです。

 こんなことを書いたのは、
 何も人様の幸福にケチをつけたかった
 わけじゃありません。
 いろんな人を見るにつれ、所詮、
 条件として挙げられる幸福など儚いものだなぁと、
 実感するようになったということです。

 前にもどこかで話したことがあるのですが、
 ある知り合いの女性のことを書きましょう。
 彼女はいつも幸福です。
 美人で性格もよく、誰からも好かれていました。
 独身の頃から何の苦労もなく、
 大恋愛をしていた彼とすんなり結婚して、
 絵に描いたような幸福な暮らしをしていました。

 素敵なご主人、愛らしい子供たち、裕福な生活。
 専業主婦でしたが妻として母として
 充実した毎日を過ごし、家族全員、健やか。

 私は彼女を見ると、いつも「完璧に負けてる」
 とコンプレックスばかり感じていました。
 彼女はどうしてあんなに幸福を
 手に入れられるんだろう。
 生まれた時から、神様に選ばれた人みたいに。
 まったく不公平だ。

 何年かたって、私は彼女と会いました。
 時間は、彼女の生活を大きく変えていました。
 ご主人の会社は倒産、財産をすべて失い、
 子供は学校でトラブルを起こし退学、
 あんなに綺麗だった彼女はすっかりやつれて、
 化粧気もなく、ださい格好でパートに出ていました。
 私は傲慢にも、彼女に同情のようなものを感じていました。
「やっぱり世の中、そううまくはいかないものなんだ」
 実際、顔を合わせても、
 どう言葉をかけていいものかわからず、
 いっそのこと知らんぷりした方がいい、
 と思ったのですが、
 彼女の方から「久しぶり」と、
 話し掛けてきたのです。

 それも以前と同じ笑顔で。
 そうです、以前と同じなのです。
 彼女は何も変わっていませんでした。
 驚きでした。まったく、驚いてしまいました。

 その時、昔も負けていたけれど、
 今もやっぱり負けている、
 とつくづく思いました。
 彼女にとって、何かがなければ不幸、
 という概念はないのです。
 今、ここにある幸福を、ちゃんと見つけられる。
 コレがあるから幸福、なのではなくて、
 コレがなくても幸福、を知っている。
 初めて、彼女がいつも幸福でいた理由が
 わかった気がしました。
 私を含めてですが、人はつい、
 コレがなかったら幸福になれない、
 と思ってしまいがちです。
 最初は謙虚に「健康でさえあれば」と言っていても、
 それが当たり前になると、
 また新たな条件を持ち出してきます。
 「もっとお洒落な服が欲しい、
 もっと素敵な家に住みたい」というように。

 そうやって幸福の雛型を次から次と作り上げて、
 それを手に入れようと必死になるのです。
 何かを手に入れるために一生懸命になるのは、
 悪いことじゃないと思います。
 それは自然なことだし、
 そうでなければ「どうでもいい」というような
 投げやりな生き方をすることに
 なってしまうかもしれません。

 でも、自分の欲望を満たすことと、
 幸福を手に入れることとは違うと思うのです。
 もっと違うはず、幸福って、
 本当は欲望の対極にあるもの。
 でも、それっていったい何? 
 どういうものなのだろう。
 正直言えば、私にもよくわからないのです。
 幸福とは何か、なんてテーマを持ち出すこと自体、
 身の程知らずだったのかもしれません。

 ただ、ひとつだけ。
 すべてが揃ってなければ幸せではない、
 と思っているとしたら、
 それはあまりに不幸です。
 誰のものでもない、誰にもわからない、
 でも私は私の幸福をちゃんと持っている。
 それを胸を張って言えるようになりたい。
 それこそが本当の幸福ではないかと思うのです。

今日も 味わい深い一日を過ごして下さいね。

推敲3回で完成。

最後まで読んでいただきまして 
ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
ペタしてね