ざぼん的人生の歩きかた -16ページ目

ざぼん的人生の歩きかた

    午前に『生きていくために、身に付けていた方が良い、 
    考え方や、スキルについて』
   午後に『 自分自身を高めるための・こころ 』 
   の内容にしたいと思っています。
一部不定期に、読者の依頼により内容を変更する場合もございます。

前回は 「 有難い ご縁に感謝 」 でした。

いつも おいで下さって ありがとうございます。

こんばんは 門前の小僧 ざぼんです。



ひとが元気になる時 いろんなことで元気になりますよね。

友達との何気ない語らい、先輩から優しい言葉をかけて貰った。

仕事がうまくいった   
子どもの笑顔を見れた・・・・・・・・・

もしかしたら、私たちは笑顔を見せてくれる人のために

生きているかもしれない。

他人ごとではない 自分のこととして!


日本中の土地を旅し、いろんな方にお会いして感じた事。

日本人が誇れる事! 見ず知らずの人にも「優しい」ということ

道を尋ねると、優しく教えてくれる。佇んでいると心配そうに

傍に来て『どうかしたの?』と気遣ってくれる。

ありがとう」と応えると「なんの」といって

何事もなかったように立ち去る。

なにかの映画のワンシーンみたいな光景が

私たちの前に現れる。 これが日本!

その 立ち去る時の穏やかな笑顔が思い出される。


あなたは 誰の笑顔を見たいですか。

それは どんな時ですか。


あなたの笑顔は、誰を元気にしていますか。


あなたの泣き顔は、誰かを悲しませていませんか。


周りの人の笑顔を見ると、明日も『やるぞ!

という気持ちになります。


ひとは『笑顔』を返されると

嬉しくなって 元気になるんですね!


泣きたいときでも あなたが笑顔を返すと

相手は安心して、笑顔を返してくれます。


もう少し踏ん張ろう! 大好きな人の『笑顔』を

見るために。

そう思える 朝です。


仕事が終わったら ゆ~ったりと あなたに『笑顔』を くれた

ひと のことに 想いをはせてみませんか。

きっと 今夜は 温かい気持ちで

眠りにつけるはずです。


こんな夜が あっても いいんじゃないですか


推敲1回で完成。
最後まで 読んでいただきまして ありがとうございます。
コメントなど いただけると 小僧が喜びます。
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前回は「 人は未熟 」でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。


立春は過ぎましたが、

寒さが厳しいですね。寒さに負けないよう、

笑顔で暖かくしてお過ごし下さい(^0^) というような、

コメントを 毎朝 TwitterやFacebookで書いているのですが。

 今 このように あなたに 文字を書いていることが 不思議

これを「えん)、(えにし」と呼ぶんですね。

今日は不思議な」です。 

」を国語辞典で調べると

 ・ 巡り合わせとしての「縁」は、運命。

 ・  血縁的つながりとしての「縁」は、親族・続柄。

 ・  日本の住宅構造の「縁」は、縁側。

 ・  仏教における「縁」は、因縁・縁起。


と ありましたが、今日はあえて巡り合わせとしての

」に纏わるお話しを 少し。 
」はゆかりとも読みますね。

普段あなたが使っているのは

「前世の」「因縁(インネン)・縁起」

あってめぐり会う」「金にはがない」「縁故・由縁」

が切れる」「親子の」「血縁・縁談・離縁」

と云うような言葉だと思います。


人と人とのめぐりあわせは偶然ではないと思います。

原因)があって結果)があるんだと思います。

あなたに好きな人がいる(伴侶、恋人)としたら、どういう形で

あなたはその人とお付き合いしようと決めたんですか?

その人とはビビビと感じて選んだ訳ではないでしょ。


どうして、その人がこの世に生まれて、偶然にもあなたの側にいたのか?

その事が不思議だと思いませんか。

これが「ご縁」の不思議。

この 「ご縁」という言葉は仏教用語にはありますが、

キリスト教では「」という言葉はないみたいです。

だからといって、キリスト教徒の人達が目に見えない力や存在を

否定しているわけではないと思います。



この「ご縁」じっと待っていても出来ませんよね。

だからこそ、出会いを大事にしながら、

奥底に眠る自分を見つけ出す機会に感謝しなければ、と思います。

ある方のメッセージからの引用です。

種から、花が咲くためには「種だけの力で可能でしょうか。

  いいえ、種だけでは育ちません。床の上に、種を置いているだけでは、

  いつまでたっても
花開くことはありません。

  まず、土が必要です。水も必要です。もちろん日光も欠かせません。

  種は種だけでは育たず、そのほかの存在と交わりながらでないと

  育ちません。これを「」と言うのではないでしょうか。

  とは「結びつく」「交わりあう」ということです。

  出会いを、自分の中に取り入れるということです。

  種は、土と出会うことで、自分の環境を整えることができます。

  水と出会うことで、成長することができます。

  日光と出会うことによって光合成ができ、さらに成長します。

  時には大雨、大風というやっかいな存在も必要でしょう。

  大雨、大風を経験することで、しっかりとした根をはり、

  雨や風にも負けない力強い根っこを持つようになります。

  人が生きていくときにも、さまざまな出会いが必要なのです。

  出会いがなければ、種と同じように、 まったく育たないのです。

 縁を大切にして生きなさい」とは

 「
出会いを大切にして、
自分の中に取り入れて、吸収しなさい

 ということです。


  出会いを大切にしないと、あるところで成長は止まってしまいます。

  種は種だけでは成長しないように、あなたもあなただけでは

  成長しないのです。
人間も、家族、恩師、友人、など数多くの人と

  出会うことで、大きく成長するのです。

  時には、嫌いな人、苦手な人との出会いも必要です。

  そうした出会いによって、あなたの精神的な免疫力が養われ、

  さらに強く生きていくことができるようになります。

  すべての出会いに意味があり、自分のためになっているのです。

  あなたにとって 出会いは、 縁であり、栄養になっているのです。

 と ありました。

 まさに その通りだと思います。

 
私が生きている。そしてあなたにこの言葉を届けられることも、

 そして、あなたがこのページを開くことも不思議

 このようなことを、ただ不思議 と捉えないで

 人知を超えた地球のエネルギー、目に見えない「ご縁」を

 司る存在なくしてはなしえなかったことだと思いませんか。

 今日の 「 ご縁 」 に 感謝!


推敲3回で完成。

最後まで読んでいただきまして ありがとうございます。
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(和尚 敬白)
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前回は「 人は鳥になれるのか? 」でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。

「 あなたは 未熟者ですか? 」  という問いに

あなたは何と答えますか?

病に臥せってDVDばかり観ていると

無性に時代劇が観たくなり

借りてきてもらった中に

池波正太郎さんの作品があったので

こんな言葉を思い出しました。


☆ 未熟ということは
 大切なんだよ。
 僕だって未熟。
 天狗になったら
 おしまいだよ
 
( 池波正太郎 )
 

 「自分は未熟」というのは、 自己卑下ではなく、

 謙虚な心から生まれる、自己認識ではないでしょうか

 「未熟だ」という自覚があるから、

 自分を成長させようと心がけるのでしょう。

 また、未熟だから、 成長する余地もあるのです。

 そして、今は成長の途中なのだから、

 多少問題があっても、 「まだしかたがない」と思えます。

 でも、「いつかは・・・」という  希望もあるわけです。
 
 
 ここでもう一つの質問

 あなたにとって、 「未熟」は
 
 マイナスの言葉でしょうか?

 それとも、プラスの言葉でしょうか?
 
 自分はまだまだ力不足と思っているのなら、
 
 マイナスの言葉となります。
 
 しかし、自分にはまだまだ
 
 伸びしろがあるんだと思っているのなら、

 プラスの言葉となります。
 
 逆に、「自分は未熟じゃない!もう完璧である!」と

 自信を持つことはいいことですが、

 いい気になっていると、油断が生まれて失敗したりもします。
 
 物事には必ず2つ以上の見方があるのです。


 本来、未熟という言葉は
 
 悪いように使われていることが多いのですが

 言い換えればこれからの伸びしろがあるということです。

 まだ伸びる可能性があるという風にも理解できます。

 成熟していく過程が未熟ですから、

 自分を責めるのではなく、
 
 まだまだ成長の余地があるのだと

 何が課題かを見つめて
 
 その改善を怠らなく努めていけば
 
 必ず成熟した人物に近づいていくのです。

推敲1回で完成。

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(和尚 敬白)

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