ざぼん的人生の歩きかた -13ページ目

ざぼん的人生の歩きかた

    午前に『生きていくために、身に付けていた方が良い、 
    考え方や、スキルについて』
   午後に『 自分自身を高めるための・こころ 』 
   の内容にしたいと思っています。
一部不定期に、読者の依頼により内容を変更する場合もございます。

前回は 「 藍は藍より出でて 藍より青し 」 でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんにちは。 門前の小僧 ざぼんです。

今日は 「 空 ( くう )」 を 選んでみました。
  
  本当は 最初にしたかったんですが 

最初に
 「  」 は あんまりだと
    
 随分昔 仕事に疲れ いろんなものに疲れ 新宿 歌舞伎町に 
    
 沈むもうと決めたんです。 
毎日 麻雀で 生活していました。
  
  ある日の 深夜 雀荘から タバコを買いに出た時 一人の僧侶が 
    
 私に近づいてきて

 
「 あなたの 心の中にある 字を 一字
  
    この色紙に 書いてくれないか? 」
  
  と 言ったんです。 その時に 書いた字が

  空 」 だったんです。
  
  なぜ この字を 書いたのか 今となっては 思い出せませんが、
  
  その後 このままではいけない! と思い 

歌舞伎町を 後にすることに、

  
  で 今の私があるわけなんです。
  
  それから 「 空 」 が 私の頭から 離れたことはありません。
  
  たぶん あの時 「 空 」 を書いていなければ 

今はないかもしれない

 と この頃 特に 思うように なったんです。 

で 「 空 」 です。
  
  
  今回 「 空 」 を 書くにあたって、 少し 調べてみました。
  
  普段は 「 くう 」 を 「 そら 」 と 読みますよね。
  
  
 ○ 「 空 ( くう ) 」
  
    ・ 数学においては、

インドの数学の「 0ゼロ)」をこの名で呼んだ。

  
   即是(しきそくぜくう)
  
    とは「目に見えるもの」、

    転じて「この世にあるすべてのもの」の意。

  
    とは「空っぽ、無」、

    転じて「固有の本質をもっていない」の意。

  
    色即是空とは 「 この世にあるすべてのものは
    
    固有の本質をもっていない 」 

    という仏教の基本的な教義です。

  
   仏陀は  『 空 』 を 説明するにあたって
    
  「物事は因縁(関係性)によって
 存在するのであって 

   永遠なる存在や絶対的な存在などない、
 

   だから物質には執着するな 
 
  
  というようなことを言われた訳です。
  
  
    グルメを気取ると食事にあれこれ文句をつけがちですが、
  
    究極のメニューなんてものは単なる思い込み(色即是空)
  
    空腹のときは何を食べてもウマイ(空即是色)。
  
    なんて 解釈すると 関係者の方に 叱られそうですが
  
    そんな風なことだ と 思いました。
  
  
  ダライラマ法王の言葉に
  
  『 仏教徒は縁起因縁)を通して物を見よ 』 

  とおっしゃっていますが、

  
   (これも 空 の 一文です)

  【 幸せになりたいならば幸せの原因を作らねばならない。
  
   苦しみたくなければ  苦しみの原因をさけねばならない。
  
   幸せは徳(善行)を原因とし、

   苦しみは不徳(悪行)を原因とする。

  
   徳も不徳もまわりの人たちとの関係の中で作られる。
  
   もしも幸せになりたければ、
  
   自分のまわりの人々を幸せにしようと努力するべきである。
  
   あなたが苦しみを感じているなら、

   それは誰かを傷つけた結果であり、

  
   もし幸せを感じているなら、

   それは誰かを幸せにした結果なのである。

   
   相手を責めるのは間違いだ。原因は自分の行動や考え方にある。】
  
 ということだと想いました。
  
  
 また、 私たちは皆 『 私 』というイメージを持っている。
  
   『  』 とは その時その時の 条件、立場、見方によって
  
   自分の 心に 「 イメージ 」 として生じているだけであり、
  
   実体的な 『 私 』 などは 存在しないということだ。

   とも。


  
少しまとまりのない 内容になってしまいましたが、
    
 空 」 とは なにものにも とらわれない 「 こころ 
    
と 自分の幸せ よりも 他人の 幸せのために 働き
    
それを 自分の 幸せ と 感じることができる ひとに
    
理解できる 「 仏 の 教え 」 ではないか?
    
と 感じた時間でした。

あなたの 心の中には どんな字が ありますか?

心を 穏やかに 少しだけ こころ と 会話してみませんか。

推敲3回で完成。

最後まで読んでいただきまして ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
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前回は 「 観見二眼(かんけんにがん)とは 」 でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんばんは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は 全国的に晴れ 布団や 洗濯物が良く乾いたでしょうね。

我が家も 衣替えを行い わたしの 「 藍色 」 のジャージが

今日から
 わたしの ユニフォームになりました。 

と なんで 「 藍色 」 
なんだ? と いつものように 

不思議ちゃんの アンテナが ピピピ。 


で、 今日は 「 藍 」 に関するお話を 少し。

 青は より出でて  より 青し 』 の 

「 藍色 」 です。

有名ですよね、 結構 知ってる方が多いと思います。

お坊さんの 作務衣 や 甚兵衛 には 『 藍色 』 のものが

多いですよね。
(理由は 後日)

  
  「  」 染料に使う藍草のこと。

『 藍草で染めた布は藍草より、鮮やかな青色となることから、

弟子が 師匠の学識や技術を越える と云う意味のことわざ。 』

と 理解している人が多いと思いますが、 本来の意味は

人間を教育して、 人間の悪い性質を変えなければならない。


ということなんですね。(性悪説ですね)


途中で 誰かが 勝手に 解釈して 微妙に変えてしまったんですね。

学問を志す者は常に向上を目指して努力すべきである。 

 途中でやめてしまうようなことがあってはならない

と 言いたかったそうなんです。


『 「 藍草 」 は ほおっておいては 青の染料にはならない、 

  職人が手を加え、染料の「藍」に仕上げなければならない。 』

『 これを人間に当てはめれば手を加えることは教育であり、

  自分を変えようという努力をしなければいけないよ。 』 

となります。


人も 物も 手を加えることにより、だんだん良くなっていくものです。

あなたも 「 藍草 」 から 「 青 」 に なれるよう、

今の 自分に対して 前向きに 最良の方法で 手を加えることが
                  
 (今の時点で)
大事じゃないですか。


人は 努力すれば 必ず 良い方向に 向かいますから。

チャンスの 女神に 後ろ髪 は ありませんよ!

(宝くじも 買わなければ 当たらない:ちょっと違いますね)

推敲3回で完成。

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(和尚 敬白)
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前回は 「 性相近し、習い相遠し 」 でした。

いつもおいで下さいまして ありがとうございます。

こんばんは 門前の小僧 ざぼんです。

今日は ずいぶん前にお話しした 

『 宮本武蔵 』 の 『 五輪の書 』 の

話の続きを 少し。


私がいつも目標としている言葉、

『 観見二眼(かんけんにがん) 』 です。

五輪書(ごりんのしょ) は、 

地・水・火・風・空 の五巻からなっていますが、

水の巻にこんな記載があります。

『 目の付けようは、大きに広く付くる目也。

  観見二つの事、観の目つよく、見の目よわく、

  遠き所を近く見、近き所を遠く見る事、兵法の専也。 』


これは簡単に言うと、

『 戦いの時は目は大きく くばる事。

  目には観の目と 見の目があるが、 観の目を強くし、

  見の目は弱くする。 離れた所の動きを掴み、

  身近なものは離して見る事が兵法の上で最も大切である 』

というような意味だそうです。


元は仏教用語だそうですが 今では一般的に、

心で見るのが 『 観の目 』、

目で見るのが 『 見の目 』 だと


解釈される事が多いようです。


私は 以前 「 鳥になってみませんか?(俯瞰) 」 でも

書きましたが、 『 現実を直視する目(見の目) 』 と

それを 『 俯瞰する目 と 第六感で見る目 (心の目) 』

を持ちなさい。

と 解釈しています。


『 自分を 俯瞰する 』 いつも できれば

また 違う明日が 来るかもしれませんね。


推敲3回で完成。


最後まで読んでいただきまして ありがとうございます。
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