前回は「 あなたのの好き嫌いは 判断を誤らせる 」でした。
いつもおいで下さいまして ありがとうございます。
こんにちは 門前の小僧 ざぼんです。
今年前半を振り返るに関してまだまだ続きます。
記憶に関して 有名な 本があります。
ジョン・コールトン氏の「記憶は嘘をつく」
榎本博明氏の 「記憶は嘘をつく」
そして 養老孟司氏の 「記憶が嘘をつく」
今日は「クリティカルに考える」ために
記憶に関しての話を少し。
人間の記憶は頼りない、と思っている人は少なくないでしょう。
いや、私は記憶には自信がある!
とおっしゃる方もいらっしゃいますが。
(今回は先の方へのお話です)
先日、友達と飲んだ時の話ですが
彼「お前、あの時こう言ったよね!」
私「いや、そんなこと言ってないよ」
という会話から始まり 「じゃあ誰が言ったのかな?」
で 違う話題になりましたが。
(この場合どちらが正しいか不明)
このように、
あなたは過去の記憶の違いによって、
トラブルを起こしたことありませんか?
例えば「確かにあの本は君に返したよ」で
「いや、返してもらってない」みたいなこと。
これは、自分の記憶は間違いなく正しい!、と
断言することからきています。
些細な日常のトラブルなら大きな問題にはなりませんが、
ある一人の人の記憶で、人生が大きく変わる
人がいるかもしれません( 裁判など )。
なぜ、こんなことが起きるのでしょうか?
それは、その人物の感情というフィルター
(スキーマ)を通して解釈され、
それを認識し、事実として『受け止めた』からなんです。
数人の人が同じ出来事の場所に居合わせたとしても、
感じ方(フィルター)はそれぞれ違いますし、
受け止め方も違います。
また、記憶装置にインプットされるときに、
創作が加えられるかもしれませんし、
その人にとって重要な個所のみ抜きだされて
記憶されるかもしれません。
このように記憶と云うのは曖昧なものなのです。
ある事件で「あそこで車を見ましたか?」と云う質問と
「あそこで青い車を見ましたか?」と質問されると
青だか緑だかはっきりしなかったけど、つい
「青だった」と答えてしまう場合もあるんですね。
ここであなたにお願いですが、こうしたブログ(文章)
を示されれば「事実」として受け止めなければいけませんが、
記憶は完全な「事実ではない」と考えて頂きたい。
嫌なことを速く忘れてしまいたいがために、
事実と違う刷り込みを、新しい記憶として作ることもあるんです。
また、初恋なんかは事実以上に美化して
記憶されているかもしれませんね。
今年前半を振り返る時に、
あなたの記憶をもう一度確かめてみては。
推敲3回で完成。
最後まで読んでいただきまして ありがとうございます。
感想などいただけますと 小僧が喜びます。
(和尚 敬白)
