6月1日
よーこから電話で呼び出されました。
「キン肉マンにね、これから私の状態が悪くなるのは間違いないから、実家に帰らなくて良いか再確認したよ」と話がありました。
末期の介護は、体力的精神的にも楽ではないとわかっていたのだと思います。
そして私に葬儀代を預けること、葬儀の段取り(裏方)を頼むとの話もありました。
キン肉マンにできるだけ負担をかけないよう
彼女なりの愛情と配慮だったと思います。
結婚前から癌の治療をしていましたから、夫婦のお財布は別にしていましたが
「病状悪くなったら葬儀代預かってね」
と以前から私に言っていましたので、恐らくお迎えが近いことを感じていたのではないかと思います。
少し話していると
「A姉ちゃんのことを守るから。どんなことがあっても私が守るから」と
寝たきりのよーこに言われました。
突然の言葉に涙をこらえるのが精一杯で、何の言葉も出ませんでした。
なぜ「ありがとう」と言えなかったのか今でも後悔しています。
もし皆さんの愛する方が病と闘っているならば
どうかお願いです。
愛してる。大好きよ。幸せだよ。ありがとう。と思った時に言葉にしてください
照れくさいかもしれませんが、私のように後悔のないよう・・・
その頃もう既に癌が全身に転移していることを彼女も知っていました。
体調の著しい変化も感じていたのだと思います。
骨の痛みで身体は思うようにならず
呼吸も苦しくなってきたと言いました。
けれど酸素量は97~98%を保っていましたので
肺などに水が溜まるということではなかったようです。
Dr.のお話では、肺の腫瘍が呼吸の邪魔をして息苦しく感じているのだろうとのことでした。
モルヒネなどの副作用で便秘は酷くなり、痰が多くなりました。
自宅療養では看護師さんや家族が痰を機械で吸引することが多いようですが
人の手を煩わすことなく彼女は自分で吸引をしていました。
自分のことは自分で
これが彼女の信念だったように思われます。
ですから手が痛くチューブを握れない時にも
チューブを持つことを家族が手助けするだけで
自分の頭を動かし痰を吸引していました。
血圧は高く 140/100 前後
お迎えが近くなると血圧が下がると聞いていましたが、亡くなる前日の夜まで下がることはありませんでした。
薬(注射の薬液)の量とボルタレン座薬の量も(25㎎から50㎎へ)増え
口にできるものといえば、水、経口補水液、ガリガリ君程度
食事がわりの点滴はしていませんから、浮腫みはありませんでした。