三人ともパンク寸前 | May1993-2022アーカイブ

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金曜日の稽古は

前日とは少し難しさが増して…
作品における「表現」のお話。

映画と演劇は基本の作りが違うので
その表現方も全然違う。

作品は、飛んでくる言葉や演技だけを全てだと思うと、そこに込められた哲学を読み取れなくなる。
観るだけに徹する人生ならば素直な目の前を楽しめばいいけど
その観ることに徹する人たちのために、作り手はどんな技術を使っているか。

今回の授業は急ぎすぎた💦💦
絶対難しかった💦💦
振り返れば、時計の針はもう少し余裕があった。

三人ともパンク寸前だっただろな💦💦

ごめんよ




稽古終わりで
チセが珍しく帰りが電車だったので
一緒に駅まで向かう事になった。
「久しぶりに晩ご飯食べよか」
と、ファミレスに行った。

演劇部を結成して、十代にはあまりに激動すぎて、
チセはかなり心にも疲労がたまっていたので、しばらくはチセの思う時間を過ごすのを見守っていた。

コロナは大変だし、今も大変だけど
静止した時間も確かに在る。
その時間があったことを、ご飯を食べながらチセは語っていた。

チセと二人でご飯を食べてゆっくり話すのは本当に本当に久しぶりだ。
二人でご飯を食べるときは、初めてのMayの稽古前に不二家でパフェを一緒に食べた時間をいつもいつも思い出す。
あの時は話す語尾の発音もまだまだ辿々しく独特だったけど、将来の夢とか目標を語る言葉が今はひとつひとつが深い。

成長は嬉しくて寂しく
そろそろ大人としての力が無力化していく実感もよじ登ってくる。

頭の良い子だから、もうそろそろ僕の知らない知識に溢れている。

いつかビール飲みながら語り合う日が来るのか
そんな日なんて来ないのか。

毎日一分一秒一言一文字が
心の底から大事だと感じる。





木曜の演劇部は
「演じる」という事の呼吸について。
舞台の上に立つかぎり、観る側の好感と共感と共鳴が必要となる。
作品の上では嫌悪もまた、一度受け入れられて嫌悪されないと
そもそも観る人は観てくれない。

人はどうやってお互い共感できるのか。

そんな授業をみっちりと。
青春の時間を例えに話したから、今回はわりと伝わったかな。

久しぶりのゆうじが見学に来てくれた。

金哲義