スジンが台本読んでこない。
だから
「台本は必ず読んできなさい」
と教えた。
多分、まだ文字を読むのが苦手なのだと思う。
で、次の稽古でものすごく威風堂々と入ってきて
「聞いて!俺な!
台本読んだんやで〜」
とこれみよがしに誇らしげに言ってくる。
みんな
「お前すごいな。当たり前の事を偉業のように言えるなんて」
と笑う。
でも
台本を読む事は基本だけど、僕は本質的な事を今まだ、まだ数年、スジンに言うつもりはない。
僕が今回言った「台本読みや」は、物語の大雑把な地図としての意味のみだ。
スジンは読み返さなくてもいいとさえ思っている。
それよりも彼は立ち稽古でその場面その場面で面白い正直をたくさん持ってくる。
その瞬間その瞬間をセッションで生み出して、なんなら共演者と当日の客席のイメージまで想定して[遊び]を打ち合わせている。
動きが楽しい場面ではまだ台本を持ってしかセリフを言えないから制限される動きにもどかしさを感じて
「あー!台本持ってたら邪魔や!」
と悔しがる。
楽しさを楽しむために次のステップに本能で飛び進もうとしている。
冒頭で希望を抱いて日本に渡ってきた場面。展開が素早く激しく飛び跳ねる。
全体像もその意味もまだじゅうぶんにはわかってないのに、その瞬間の感情を演劇の先輩たちにいくらでも仕掛けていく。彼の先輩となる若手たちも、それに応えて新しい動きを返してくる。
それがまさにあの時の正直な心だぞ!^ ^
あの時はきっとみんな世界の全体像なんてわからず、時代の全体像なんてわからず、その瞬間の正直な希望で、激しく駆け抜けた。
君の元気を見てたら、見たこともない時代の若かりしハラボジたちの元気を思い出す。
きっと他の大人たちの現場だと「キッチリしろ」と制せられる事がほとんどだろう。
でも今は俺と作っているから、制約も既存も覚えずに本能のセッションをひたすら楽しめ。
本当に楽しさを、本当の意味で刻んだら、必ず一緒に作る仲間を敬うルールが、やがて自然に身につく!
金哲義