稲佐の浜から出雲大社へ

 

 

 

出雲大社

2024年5月24日(金)参拝

 

いづもおおやしろ/いずもおおやしろ

住所:島根県出雲市大社町杵築東195

『おおやしろ』という言葉は、

島根県出雲市の出雲大社だけを指すものです。

『日本書紀』では「天日隅宮」と

記されています。

宇迦橋大鳥居

扁額は畳6畳分ほどの大きさ

現在、宇迦橋の大鳥居

 橋の架け替え工事と

鳥居の補強工事をしています。

( 令和8年度までの予定)

出雲大社は北を背(南向き)に建っており

鳥居も南を向いています。

勢溜の鳥居・社号標

15年振り3回目の参拝ですお願い

鶴山

出雲大社の西

千家国造館の裏山を鶴山といい

出雲大社の宮司様であられる千家さんが

おられます。

大国主大神を主祭神とする宗教団体として

千家家が出雲大社教を主宰しています。

鏡の池には鶴の模型(像)があります。

 

雰囲気あるカエルさんの像も

 

亀山

出雲大社の東

北島国造館裏の「亀山」と呼ばれるお山。

大国主大神を主祭神とする宗教団体として

北島家が出雲教を主宰しています。

お山のてっぺんに一本だけ

ぴょこんと目立った木が可愛らしい

 

出雲大社の祭祀者である出雲国造家は、

南北朝時代の康永年間に

千家家と北島家の2家に分裂したとされます。

祭事は幕末までは両家が二分して

行っていましたが、

明治以降は千家家が執り行っています。

祓端

祓端(はらえのはし)を渡り振り返ったところ

三の鳥居(中の鳥居)

こちらから先は

松の木の保護のため

左右の参道を歩きますあしあとあしあとあしあと

 

日本酒発祥の地 うさぎ像や

西神苑を通過

縁結びの碑

 

出雲大社が縁結びの神と云われる理由

御祭神の大国主大神が
目に見えない世界の
「むすび」の霊力を司っているから。
ここで言う「縁結び」とは、
男女の縁だけでなく、
人間関係や、人々を取り巻く
あらゆる繋がりの“ご縁”のことを指します。

 

御慈愛の御神像

有名な因幡の白兎のワンシーン

手水舎

 

拝殿

翌日の舞の奉納は

こちらで舞わせていただきましたお願い

拝殿裏に広いスペースがあり

少し離れて八足門があります。

八足門 重要文化財

丸が3個束になったマークは

古代の御本殿の心御柱(しんのみはしら)宇豆柱(うずばしら))跡です。

八足門の奥に楼門と御本殿が鎮座しています。

御神紋は、「二重(にじゅう)亀甲(きっこう)(けん)花菱(はなびし)

「亀甲」は北方を守護する

玄武(亀と蛇の合わさった姿)を意味し

神聖な意味を持っているようです。

花菱の花弁と花弁の間にある紋は「剣紋」。

剣は、古くから敵を討ち取る他、

魔を退ける神聖な神器として

尊ばれてきたそう。

我が家の家紋にも剣花菱が用いられていますが

出雲大社さんの御神紋と似ていてちょっと嬉しい。

翌日の奉納では

舞のスタートが瑞穂さんの

「剣の舞」だったのは

偶然だったようです。

後日確認すると「無意識でした」とのことでした。

八足門の右側に観祭楼

ここは舞楽などの芸能を観覧していた

場所でした。

左側に御守所

八足門の階段下にも手水舎があります。

楼門 重要文化財

八足門の奥に楼門があります。

八足門内はお正月三が日などの特別な日や
ご祈祷を受ける人以外は入ることのできない
特別なエリアです。

この度、奉納前の御祈祷で

入らせていただきました。

このような機会をいただき

ありがとうございますお願い

 

楼門の先に階段が見えました。

私は「雲梯(うなで)」(遊具の雲梯(うんてい)も)

は昔の出雲大社から

きていると想像しています。

 

通常は立ち入ることのできない楼門や御本殿を
間近で見ることのできるプランもあるので

リンクを貼っておきます☟

 

 

 

 

 

本殿 国宝

◆御祭神◆

大国主大神

 

大国主大神様が

国づくりによって築かれた国は

豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国」と呼ばれ

あらゆるものが豊かに

力強く在る国でした。

大神様は国づくりの後

築かれた国を私たち日本民族を

遍く照らし治める天照大御神様へと

お還し(国土奉還=国譲り)になりました。

御本殿内の図 

※画像はお借りしました

社殿は南向きなのに

大国主大神が御鎮座されている

御内殿(御神座)は西を向いています。

その理由は諸説あるようですが

 全国の神様が出雲大社にお集まりになるとき

“稲佐の浜”からお越しになる為

その方角を見ているともいわれます。

 

ここからは私の想像です。

本殿西側に

多紀理比売命(たぎりひめのみこと)がお祀りされている

神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)」が鎮座しているのですが、

福岡県の宗像大社に祀られている

神様であることから

「筑紫社」とも呼ばれています。

神話では、この神は天照大神と素盞嗚尊が

誓いを立てたときに生まれたと伝わります。

 

私は筑紫社が御本殿の西側に鎮座しているのは

(大国主大神様の御神座が筑紫社を向いている)

大国主大神様にとって

多紀理比売命が特別に尊い存在

であるからだと想像致しました。

本殿裏

 

 

本殿裏で裏詣をされている❓

うさぎさんの像

第84代現宮司、千家尊祐さんと

ご子息の権宮司、千家国麿さんの

お名前が刻まれていました。

千家国麿さんといえば、

高円宮典子様とご結婚された方ですね。

素鵞社 重要文化財

⇧iPhoneで何気に撮った画像ですが

(※加工なし)一際神々しい場所でした

 

御本殿裏に鎮座しています。

素鵞社の裏山は八雲山といい
出雲大社の御神体ともいわれます。

こちらは神職の方でも入ることができません。

禁則地の八雲山ですが

社の裏手では岩肌に触れることができます。

八雲山は雲南市にもありました。
そちらを奥宮とする神社は

出雲大社から片道約1時間の場所にある
須我神社になります。

◆御祭神◆

素盞嗚尊

 

天照大御神の弟神で

大国主大神の親神であられます。

 

出雲国の肥河上での八岐の大蛇退治をされ

大神に国づくりの大任を授けられました。

素鵞社御社殿の床縁下の

御砂をいただいて帰ることができます。

私はやっていませんので

舞仲間の様子を見ていました。

西十九社・氏社 重要文化財

 

西十九社は

神在祭の間(旧暦10/11~17)

集われた全国各地の神々の

宿所となる社です。

通常は全国各地の神々の遙拝所です。

 

氏社(北)は天照大御神の第二子
出雲國造の始祖である

天穂日命がお祀りされています。
大国主大神の祭祀をつかさどられ、
その神裔は出雲大社宮司家(千家家)
として連綿と続き今日に至っています。

 

氏社(南)は天穂日命を祖とする

出雲国造家の第17代で

初めて国造となり出雲の姓を賜った

宮向宿禰(みやむきのすくね)がお祀りされています。

東十九社 重要文化財

西十九社と同じく

神在祭の間(旧暦10/11~17)

集われた全国各地の神々の

宿所となる社です。

通常は全国各地の神々の遙拝所。

神牛像

出雲大社の神牛像は

「学問の御利益」を授かると伝えられます。

神楽殿と日本一の国旗

出雲大社の場所がわからなくても

とりあえず、この日本一の国旗を

目指せば着くと思います。

それくらい、どこからでも見える!

 

国旗の高さは

平安時代の出雲大社御本殿の高さ(48m)と

ほぼ同じ(47m)で

※御本殿の高さを超えないようにつくられている

旗の大きさは75畳分もあるといわれます。

神楽殿の大注連縄が有名なので

出雲大社では

象徴的な建物になるかと思います。

以前はこちらが拝殿だと思っていました。

ムスビの御神像

 

大国主大神が修行中だった頃

日本海の荒波の向こうから

幸魂・奇魂のお蔭を頂いて

神性を養われ『ムスビの大神』に

なられたという意味を象徴している像

私には太陽を拝んでいるお姿にも

見えました。

翌日の奉納舞

「日いづる」の形魂に似ています。

 

出雲大社内を舞仲間と共に

ゆっくり散策でき

佳き参拝でした。

御朱印

 

拝殿裏の授与所でいただけます。

奉納当日、奉納前にいただきました。

 

「ごめ~ん」

北部九州人にしかわからないネタ

虹音さんからいただいた

博多にわか煎餅の小銭入れも

連れて行きましたよ。

先日、私のことを素敵に書いてくださっており

とても嬉しかったので

リンクを貼らせていただきます🙏

 

 

⋆⸜ᵀᴴᴬᴺᴷ ᵞᴼᵁ⸝⋆