昨年、春日のくるま座さんより

うなでの神様がお祀りされているという

情報をいだいていました。

出雲大社奉納前にと思い

参拝させていただきましたお願い

 

くるま座さんからコメントをいただいていた記事

 

國崎八幡神社

2024年3月20日(日)

 

くにさきはちまんじんじゃ

住所:福岡県京都郡苅田町稲光384

この辺りは昔、

白川村だったようです。

京都郡だからか?周辺には

貴船神社が多く鎮座しています。

貴船神社といえば京都鞍馬ですが

関係あるのでしょうか。

この日は春分の日でした。

 

一の鳥居

 

 

狛犬

 

 


 

境内から見える

複数の形の良いお山が気になります。

二の鳥居

 

途中に小さな祠

 

 

狛犬(階段の上)

吽型は「ぷいっ」としているような…

創建

平安時代、一条天皇の御世、突如山の上に白旗が現れ、夜になると光輝いた。村人たちが不思議に思っていると「我は國崎大神なり。速やかに此の里に齋き祭れ」と御神託が。村人たちはすぐに山のふもとに仮殿を設けた。その後、現在の鎮座地・稲光に社殿を建設したと伝えられる。(出典:大日本名所図録)

◆御祭神◆

【主祭神】

國崎臣祖莵名手命(くにさきのおみのおやうなでのみこと)

 

【副祭神】

品陀和気尊応神天皇足中津日古命仲哀天皇息長足比売命神功皇后

 

主祭神は「菟名手」と書いて

「うなで」と読みます。

「菟」は兎🐇と同じ意味です。

古墳時代7世紀頃

この辺りは「豊国」といいました。

旧国名を豊日別(とよひわけ)と言い、

現在の福岡県東部および

大分県全域に相当する

九州の北東部地域に存在した国です。

律令制の時代には豊前国と

豊後国に分かれました。

「豊国」という国名の由来は、

景行天皇の時代

豊国直らの祖である菟名手が、

豊国を治めるよう命じられ

下向して豊前国仲津郡中臣村で宿泊した。

明け方、北から白い鳥が飛来し

集まってきたので

部下の者に見させると、鳥は餅に化し

さらに大量の芋となって花や葉が栄えた。

その吉事を奏上した所

天皇は喜んで

「天の瑞物、地の豊草なり。

汝の治むる国は、豊国と謂ふべし」

といい

菟名手には豊国直の姓を与え

国名を豊国というようになった

といいます。

 

豊かな国ということですね。

「兎の名手」とも読めるその名に

因幡の白兎と

ヤマトタケルノミコトを

思い浮かべました。

 

やはり「うなで」は

出雲と関係がありそう。

私の妄想です

本殿

神社のHPにはこうありました。

古墳時代・景行天皇即位十二年、

朝廷に抵抗する熊襲の征伐に、

景行天皇が九州へ行軍。

その際、國崎臣祖莵名手命が

当社鎮座地近辺に派遣された。

この時代平尾台の鍾乳洞・青龍窟に、

朝廷に服従しない土着民・土蜘蛛がいた。

莵名手はこれを平定。

のちに村民から神として

祀られたと伝えられる。

(出典:大日本名所図録)

現在、「雲梯の神様」でググると

奈良県橿原市雲梯町にある雲梯神社が

一番上に表示され、以下のような

説明があります。

昨年調べている時は

出雲との関連は出なかったような‥


祝詞(出雲国造神賀詞)には「出雲の大穴持命が事代主命を大和の宇奈堤に派遣した」とあり、この神社が事代主神を祀ることが知られる。 事代主神は、記では国譲り神話において父神である大国主神に葦原中国を天神御子に奉る旨を述べる。

 

 

 

 

ベンチがありました。

 

御朱印

 

 

自分でつくる

「ちいてまりまもり」という

手毬のお守りがあるようです。

 

※画僧はけいちく暮らしさんからお借りしました

 

 

 

龍のような木が倒れたそうです。

 

 

 

 

うなでの謎は深まります。

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