立山大権現 芦峅中宮 祈願殿

越中國一之宮

おやまじんじゃ

住所:富山県中新川郡立山町芦峅寺2番地

称名滝からのつづきです。

こちらも大伴氏おススメの神社さんです。

☝この看板、称名滝の付近にあったものですが載せるのを忘れていました。

所々この看板があったのですけど、大伴氏は見付ける度につまずいていました。

体を張った芸人魂をお持ちです。

✱社号標・一の鳥居✱

雄山神社は

1.峰本社(立山頂上)

2.芦峅中宮あしくらちゅうぐう 祈願殿きがんでん

3.岩峅寺(いわくらじ) 前立社壇(まえだてしゃだん

今回訪れたのは『2.芦峅中宮 祈願殿』です。

峰本社、祈願殿、前立社壇の三社は三位一体の性格を持っているため、どの社殿に参拝してもご利益は同じとされています。

これより参拝させていただきますペコリ

 

✱手水舎✱

此のお水は1キロ山奥の水神社境内に湧き出る岩清水です。

戸隠でも「熊注意」の看板を見掛けましたがこの辺りで熊さん出没は珍しくないのでしょうか?

九州には熊は居ないと云いますし、今まで野生の熊さんに遭遇したことはありませんが、なぜか夢にはよく登場します。

ひとつ前の記事で少し触れましたがドキュメンタリー映画『地球交響曲ガイアシンフォニー』で印象に残っていて私が好きな章は第二番(ジャック・マイヨール、14世ダライ・ラマ法王、佐藤 初女)と、第三番(星野道夫)でした。

動物写真家だった星野さんは大好きな熊に襲われて亡くなります。

「熊は自分から絶対に人を襲うことはない。そもそも人間に近づかない」

星野さんが生前仰っていたそうです。

実際はどうだったのかは不明ですが、熊に魅せられた星野さんは熊によって生涯を終えるのは本望だったのでは?というようなことがどこかで語られていたと記憶しています。

いくら好きでも目の前に大きな熊さんが現れたら、私だったら頭が真っ白になって、足がすくんで動けないだろうな。

入口付近の不動明王が彫像されている石碑

 

✱狛犬✱

画像を見返すと、厳重な見張りのように感じました。

✱神明宮✱

右から豊受大神宮、皇大神宮、麻続御祖社(おみみおやしゃ)

芦峅寺の産土鎮守といわれています。

✱治国社(通称:宝童社)✱

御祭神は新川姫命で耳垂れ地蔵様と称し、首から上の病気の守護神として、また、子育ての守り神として信仰されています。ちなみに新川姫命は白山比咩命という説もあります。その根本は、「新川」と呼ばれた常願寺川の川神ではないか?ということです。

清々しい参道

 

✱祈願殿(拝殿)✱

諸祭礼、諸祈願の中心です。

明治維新までは芦峅(あしくら)大講堂と称していましたが、維新後祈願殿と改称されました。

岩峅寺及び芦峅寺の「(くら)」と言う文字には「神様の降り立つ場所」の意味があります。

御神体を霊峰立山とし、両本殿主祭神をはじめ立山全山36末社の神々を合祀しています。

創建の年代は不詳。社伝では、大宝元年(701年)に景行天皇の後裔であると伝承される越中国の国司佐伯宿祢有若の子、佐伯有頼(後の慈興上人(じこうしょうにん))が白鷹に導かれて岩窟に至り、「我、濁世の衆生を救はんがためこの山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」という雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山であると言われています。また、大宝3年(703年)に釈教興が勧請したとも伝えられます。

神紋は『違い鷹の羽』

ちょうど作業中の神主様がいらっしゃりお話を伺うことができました。

違い鷹の羽といえば、九州では阿蘇神社を思い浮かべます。

雄山神社の神主様によると『丸に違い鷹の羽』より、丸のない違い鷹の羽のほうが格が高いそうです。

祈願殿内は撮影禁止となっていますが、中に入ってお参りをさせていただきました。

大伴氏はいつもそのようにされているようで、神主様に「慣れていらっしゃいますね」とお声を掛けられていました。

✱立山大宮(西本殿)✱

本殿が拝殿(祈願殿)の真裏ではなく西と東に祀られている珍しいタイプです。

大宮は西側に祀られており、「西本殿」といいます。

◆御祭神

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)

 

相殿

第42代文武天皇
佐伯宿禰有若公

✱神秘社(山神社)✱

西本殿と拝殿の間に鎮座しています。

御祭神:造化三神(天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)大山祇神

✱立山若宮(東本殿)✱

若宮は東側に祀られており、「東本殿」といいます。

かつては、立山を登拝する者は必ずここを参拝するという慣例があったそうです。

現在はスピな人たちがこちらのお社の前で何かすることが多いようです。何かは不明

◆御祭神

天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)

 

相殿

稲背入彦命(いなせいりひこのみこと)(12代景行天皇皇子)

佐伯宿祢有若公(さえきのすくねありわかこう)の嫡男 有頼(ありより)少年が熊と白鷹に導かれて立山を開山したという伝説に因む像のようです。

しかし、白鷹は見当たらず、足元には亀さんという謎。

 

✱御朱印✱

御朱印は祈願殿内で頂きました。

 

こちらの神社も好きな場所の一つとなりましたキラキラ

 

***

 

本日、インスタ繋がりのかたが投稿されていたお言葉に共感致しましたのでシェアさせていただきます。昔から私も玉置神社と天河大辨財天社がそのように言われるのが不思議でした。

 

奈良の玉置神社は、『神様に呼ばれた者だけが辿り着ける神社?!』と言われているけど、それは間違い!
「自分は特別な存在。だから神様に呼ばれるんだ!」と勝手に思い込んで勘違いをしている人の作り話です。
玉置神社は、
「絶対に行くんだ!山をよじ登ってでも、絶対に辿り着いて神様にご挨拶するんだ」
と強く念ずれば、どんなアクシデントに遭遇しようと、必ず無事に辿り着ける神社です。

 

現在は567の件がありますが、その件は別にしたとしても、玉置神社に限らず

シンプルに、行きたいのであれば「行く」か「行かないか」ですね😊

 

ご覧いただきありがとうございました

よろしければポチッと応援お願いします

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
越中国の神々も喜びますキラキラ