ご訪問ありがとうございますおじぎ

 

花の窟は、三重、和歌山、奈良の三県にまたがる熊野古道を含む

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部とされています。

 

はなのいわやじんじゃ

住所:三重県熊野市有馬町上地130

参拝計画にはなかったのですが、当日になって行くことになりました。

 

入口付近にあったイザナミノミコトの顔出しパネル。

いつもお一人様参拝なので、こういうのを見掛けるとパネルだけ撮るのですが。。

今回、仲間が私を撮ってくれました。

ちなみに前回は〇十年前の鹿児島の池田湖でした。

人と行くと、こういうのが出来ていいですね笑

✱鳥居・社号標✱

こちらは『日本書記』の神代第一で「国うみの舞台」として登場する

日本最古の神社と伝わります。

これより参拝させていただきますペコリ

✱参道✱

こちらでは雨が止んでくれましたよチュー

手水舎前にいらした”すて木”

雨に濡れて艶やかで色っぽいラブ

✱手水舎✱

 

✱丸石(手水舎横)✱

御神体の磐座から落ちてきたとされます。

丸石に神様が鎮まっているという丸石神仰が伝わっており、

この丸石は、この地方では一番大きいそうです。

丸い磐座横の木も”すて木”でしたラブラブ

 

 

✱狛犬✱

 

参道を振り返ったところ

 

参籠殿(さんろうでん)を過ぎると御神体の磐座が見えます。

✱花の窟✱

石巌壁立高さが45mあるそうです。

大きすぎて全体が写真に納まりません。

伊弉冊尊(いざなみのみこと) 御葬所(ごそうじょ)

花の窟は、神々の母である伊弉冊尊が火神・軻遇突智尊を産む際、

その火によって焼かれ、亡くなった後に葬られた御陵です。

季節の花を供え飾って尊を祀っていたので花の窟との社号が付けられたと

考えられます。 

古来、花の窟神社には神殿がなく、熊野灘に面した巨巌が伊弉冊尊の御神体、

その下は玉砂利を敷きつめた祭場です。

※白玉石(玉砂利)は土足禁止です。雨で濡れていたので白玉石にはあがりませんでした。

王子ノ窟(おうじのいわや)

高さ12メートル程の岩に軻遇突智尊(かぐつちのみこと)の神霊を祀り、

軻遇突智尊(かぐつちのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御子であることに依拠(いきょ)して、

王子ノ窟(聖ノ窟)と呼ばれます。

母(右:イザナミノミコト)と子(左:カグツチノミコト)

私のように、御由緒も何も知らなくても

イザナミノミコトとカグツチノミコトが母子の間柄だと知らなくても、

正しくは、記憶してなくても

花の窟を前にすれば、母の愛のようなものを自然と感じるのではないでしょうか。

私は感じました。

御神体に浸食された数々の穴があいており、この穴に祈願を込めた白石を納めると

願いが叶うと言い伝えられています。

✱お綱✱

御神体に長さ170mのお綱が2つ吊るされています。

2つのお綱は、1つに対し7本の綱から出来ています。

7本の綱が意味するものは、イザナミノミコトが生んだ自然神7柱です。

①風の神・・・級長戸辺尊(しなとべのみこと)

②海の神・・・少童尊(わたつみのみこと)
③木の神・・・句句廼馳(くくのち)
④草の神・・・草野姫(かやのひめ)
⑤火の神・・・軻遇突智尊(かぐつちのみこと)
⑥土の神・・・埴安神(はにやすのかみ)
⑦水の神・・・罔象女(みつはのめ)

扇に挟まれた縄で編んだ3本の幡は「三流(みながれ)の幡」といいます。

熊野川の洪水により流される前は、毎年花の窟の祭りの日に、

朝廷から「(にしき)の幡」が献上されていたそうです。

土地の人がその代わりに縄で編んだ「三流の幡」を飾るようになりました。

その神事(お綱掛け神事)が毎年2月2日と10月2日に行われています。

 

三流の幡の意味はイザナミノミコトの子どものアマテラス、ツクヨミ、スサノオから、イザナミノミコトへのお供えだと言われています。

✱稲荷大明神✱

 

✱御朱印帳✱

 

✱御朱印✱

御朱印は参籠殿(さんろうでん)でいただけます。

花の窟では私たち3人だけの時間をたっぷりといただけました。

ありがとうございました。

駐車場から見た、花の窟のあるお山のてっぺん。

 

次の神社へ向かう途中、獅子岩を見掛けました。

本当に獅子みたいでかっこよかったです(画像はありません)。

 

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