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3月10日一社目は熊野那智大社からのスタートです。
熊野三山の一社
くまのなちたいしゃ
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
前夜は1秒で寝付けたけど、朝はまた4時前から目が覚めたワタクシ。
体内時計どうなってるの~
宿にて。
外を見ると生憎の雨。
弁天島を眺め、弁天様を想いながら
瑞穂舞の”いつくしみ”を舞わせていただきました。
先ほど調べると、こちらの弁天島は潮が引いた時だけ渡ることができ
島からは那智の滝を眺めることができるそうです。
6時半頃出発
全員レインコートを羽織り
飛瀧神社の前にある熊野古道から熊野那智大社に登ります。
雨なので、さすがに私たち以外誰も歩いていません。
古道に入ってすぐのところで、一頭の鹿さんがお迎えしてくれました♡
本当に待ってくださっていた感じでこちらをじーっと見ているんです。
途中で古道を左から右へ横切り、私たちが登っていくのを見守ってくれていました。
那智大社に着くまで、三椏の参道がつづきます。
良い画像が撮れなかったのですが、雨の中の三椏は幻想的で
こんなに沢山拝見したのははじめてでした。
✱三重の塔✱
青岸渡寺の三重の塔です。
この日のスケジュールは、どこがどの神社なのか名前すらわからない状態。
金魚のフンみたいにただ着いて行っているだけなので、
前知識もなければ、神社名を言われても「なんか聞いたことある。。」程度でした。
たった一つわかっていたのは、滝に行くことだけです。
もういっちょ。
こちらの方がアングル的にいいですね。
那智の滝が三重の塔の右側に小さく写っています。
この日は朝からペースが速くて、ついて行くのがやっと。
黙々と歩く感じ。
秒単位でスケジュール組んでると仰っていたけどw
✱青岸渡寺✱
那智大社に隣接するお寺です。
こちらも世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部になります。
那智山青岸渡寺は、一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、
永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされます。
お2人はこちらで般若心経を唱えられていました。
私は憶えていないので、ただ手を合わせるだけです。
どこに行っても、その場に合ったお経とか祝詞で対応出来て羨ましい!
✱那智大社神門の扁額✱
那智山熊野権現とあります。
✱樟霊社✱
樹齢約850年の御神木で平重盛の御手植えと伝わっています。
胎内くぐりはやっていません。
秒単位スケジュールのなか、「御神木の中に入りたい」などと言うものなら
シバかれるか、置いて行かれたと思います。
✱手水舎✱
✱那智大社 拝殿✱
社殿全体の写真がないのはなぜだろう。。
雨で寒くて視界も悪く、記憶もありません。
今、記事を書きながら思ったのですが、こちらは私が参拝したことがないので
寄ってくださったような気がします。
◆御祭神
第一殿 滝宮 大己貴命
第二殿 証誠殿 家都御子大神
第三殿 中御前 御子速玉大神
第四殿 西御前 熊野夫須美大神=イザナミノミコト
第五殿 若宮 天照大神
第六殿 八社殿 天神地祗
主祭神は熊野夫須美大神(イザナミノミコト)で
夫須美とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、
同時に「結」という意味を持っています。
このため、かつては「結宮」という通称で呼ばれていたそうです。
◆御由緒
当社は神日本磐余彦命(神武天皇)の御東征を起源としています。
西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(現在の那智の浜)に
上陸されました。
一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、
那智御瀧を探り当てられ、その御瀧を大己貴命の現れたる御神体として
お祀りされました。
神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、
大和の橿原の地へお入りになられ、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、
神武天皇として即位されました。
先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいるといわれています(烏石)。
✱御縣彦社✱
熊野の神様のお使いである八咫烏をお祀りしています。
より良い方向へ導く、お導きの神様とされます。
わかりづらいと思いますが、左に八咫烏の銅像があります。
✱二の鳥居✱
お参り後は表参道を逆走する形となりました。
✱狛犬✱
ちょっと離れた所から
✱兒宮(多富気王子神社)✱
九十九王子の最後の一社
✱一の鳥居・社号標✱
修復中でした。
✱御朱印✱
御朱印は授与所でいただけます。
こちらの限定御朱印をいただきました。
書置きタイプになります。
拝殿前にて
御縣彦社が隠れていますが。。
写っているのは本殿の第六殿 八社殿です。
このあと参道を降りて、那智御瀧 飛瀧神社へ向かいます
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